感受の網

下手だと言われても落ち込まない。ただ、真実を受け止める。それが出来ればダンスは上達する。また、褒められても調子に乗らないことも同様に大切である。

人は良いダンスを褒めるする時に小中大3つのことを言う。小に体とその動き、中に音楽性やリード、大に表現や心を誉める。人はダンスを賞賛する時、重要性よりも身近さにおいて賞賛する。

では、最もダンスにとって賞賛されるべき重要なこととはなんだろう。

ある人は体のストレッチを褒める。それに固執して、ゆるみにある美しさを認めない。ある人は動きの滑らかさを褒める。それに固執して、緩急にある美しさを認めない。身体の特定の動作に固執するのは、その時の自分の感受したものを盲信するからだ。

ある人は音との一体感を褒める。それに固執して、音に縛られない楽しみを認めない。ある人は喜怒哀楽の表現を褒める。それに固執して、喜怒哀楽以外を認めない。精神の特定の反応に固執するのは、その時の自分の感受したものを盲信するからだ。

人は感受の網の中にいる。しかし、感受を盲信し固執し渇愛すると色眼鏡が起きる。まず、感受の網の中にいると言うことを知ることが大切である。


成果

最高の練習は静謐さの中にある。その練習の目に見える成果はなんだろうと考える前に、他の練習方法を考えてみよう。

ある人はダンスを身体、音楽、協力、表現に四つに分けそれぞれに練習をする。ある人はダンスの要素を更に細かく区分し、全ての区分を知ることを目指す。ある人はただ繰り返し踊る。それらの成果はあるかもしれないし、ないかもしれない。

例えば、静謐な完全に集中した初心者がいたとして、足を引っ張ろうと思う人はいない。例えば、静謐な完全に集中した上級者がいたとして、それを邪魔しようと思う人はいない。まず、それは目に見える成果である。

更なる成果を得るには、小中大3つのことを淡々と練習し、感受の門を守り、念を備え生活し、それに満足する。そして、障害となる悪や欺瞞から離れ、理論や美しさや楽しみから離れ、ニュートラルを感じとり、捉え方を改め、色眼鏡を無くすことに心を傾ける。

すると、あるがままにを感じ、色眼鏡の原因を感じ、色眼鏡をなくす方法を洞察し、色眼鏡を無くしていくことができる。それが、目に見える成果である。


正当性

教科書や世界チャンピオンの教えは正当性がある。しかし、歴史や肩書きよりが教えに重要な知識と実践を伴うとは限らない。

まず、正当性といった議論は捨てなければならない。正当性がなければ満足できないのは、知識と実践に基づく洞察を怠るがゆえである。しかし、それと同時に先生たる人とは、正当性を求める人に肩書きなどに頼らず満足させる努力を怠ってはならない。


成長の種

半ば上手くなった時、プライドが生じ、余計に肩書きが下の人から教わることを怖がる。ただ、真実を受け止めることは、難しく尊い。その真実は会話などのインタラクションの中にあり、人と相対するときの姿勢が大切となる。会話の中から真実を受け止められれば成長できる。


幸福を与えるパーティー

長く利益と幸福をもたらすパーティーは、準備する時、利益を与える時、利益を与えた後に時間や財産がなくなくると後悔してはならない。そして、そのパーティーの正当さに自信を持ち、心に疑いを持たず清らかに行う。そして、それよりももっと大事なのは、パーティーだから利益を与えるのではなく、常にパーティー同様に幸福をもたらす人間関係であることです。


最高について言葉を慎む

最高の肉体と最高の表現というものが存在するかもしれない。欲の束縛、物理の束縛、精神の束縛から離れることで、色眼鏡を認識し、色眼鏡の原因を知り、色眼鏡を無くし、そのために8つの方法があることを知ることはできる。その修行の成果が最高の肉体や最高の表現はどうでも良い。ただ真実を受け止められることが最も大切である。