孔子の言葉に、七十にして心の欲するところに従いて矩を踰えずという言葉があります。

(理屈人間の孔子さんが)70歳で辿り着いたのは感じるままに生きることと自分のかっこいいと考えたこととの一致だと解釈しています。


私も理論理屈が大好きです。

色々こねくり回して、誰にも文句の言われない完璧な最強の城を作りたい。

とても好きなんですが、自分で作った理論は脆くて原理原則だと思ってたものに例外がいっぱいあったりして、歴史の風化に絶えず、よく崩れ去ります。

そもそも、その自分が見つけた原理原則が自分の少ない経験と感性に基づいてるからです。


最近思ったのが、かっこいい人って、たまに理論を語る時もあるけど、感性がかっこいいなあと思いました。

ダンサーを船に例えてみたり、洗濯物を山に例えてみたり。もっとスイスイと漕いで!洗濯物のふもとにあるそれ取って。

素晴らしい感性が一言一句にさりげなく入って感性ダダ漏れでかっこいいのだと思いました。


考えてみれば自分は理論よりも理論武装が好きなのかもしれません。

感性を剥き出しにすると、無意識レベルで、恥ずかしく、怖いから、感性を隠しながら、人と対面するのに理論を用意しているかもしれません。


隠そうとしても感性は隠しきれないものですが、もっともっと剥き出しにすることで、その感性が人とぶつかったり、指摘されたり、良い感性に育てていきたいなと思います。


そして、孔子のように感性と良い人生が一致するのを目指したいと思います。

また、感じるままに動けば、それがかっこいいダンスになるダンサーになりたいと思います。

そうなれば、ダンス(の振り付け)がかっこいいんじゃなくて、その人自身がかっこよいと言えます。

かっこよくなりたいです。