昨日 用事があって南三陸町へ行ってきました

道中 見慣れたというには 言葉が詰まる風景が 相変わらず広がり

崩れ落ちた防波堤から 高波がしぶきを上げておりました



がれきが無くなっただけ 

仮説の商店街ができただけ

なにも 他は変わりありません


地元石巻も 一年が過ぎ 何が変わったかというと

壊れた建物が解体され 歯抜けたように あちこちに空き地ができたことくらい

北上川流域や 旧市街地で それが目立つようになった

まだまだ 時間がかかる道のりであります





三陸町からの帰り道 

国道45号線ではなく 398号線を使い  志津川町戸倉から 十三浜や 北上地区 長面地区などを 

通って 初めてそのあたりの様子を 直に見ました


葦が茂り 川に鳥が浮かんでいて 小さな船がシジミ漁をしていた 

その河口が どこから 海で どこから川なのか 分からないほどでした

かって黄金色になった田畑も 海の一部でした


大川小学校にも 立ち寄ってきました

同じ年代の子供を持つ親として

子供と こんな悲惨な別れ方をしたその気持ちが いかほどに辛いものかと

なんで あの学校の裏山に 非難しなかったのかと

他人事とも思えず 怒りと悲しみが入り混じった感情がふつふつとして

学校の入り口にある 慰霊灯に手を合わせるしかありませんでした 




震災から

どれだけの人が どれだけの思いを抱えこみ どんな日々を過ごしてきたか

これから どんな事が この先起きるのか

考えることが多すぎます

日常生活を普通に送る これが幸せなのだ




水を確保するために 行った給水所で

野戦病院と化した日赤病院で

買い物をするのに7時間も8時間も並んでいた行列で

平常時だったら絶対 生きている間には見ないだろうww とおもう 北海道のナンバープレートや 

宮崎  鳥取 愛知 富山 沖縄 等々 遠い遠い所のナンバーの

救急車や 給水車や 警察車両などが 走り回り

自衛隊が 雪の降る中  救出や捜索を続けてくれたのを見ました


本当にたくさんのいろんな人が集まって

助けられてきた 一年でありました