三国時代~唐代までの畸人(奇人)と呼ばれた8人の伝記 (画像は文庫です)。
“畸人”と表すのがいかにも陳さんらしいし、この人の選び方も陳さんらしいですね。人間的個性がある人物たち、もっと光を当てて欲しい人物たち、といった具合に感じました。
一つのことに没頭してそれを成し遂げた人、古代中央政界にあってケチを演じ続けた人、政争を嫌い続けた人、終生女を求め続けた人、などなど、どれもそれぞれにおかしく楽しく人間的にとても興味を持てる人たちばかりです。
歴史上で有名な人もいれば、まったくの無名な人もいて、それがとても個性豊かな顔ぶれになっています。
どの人たちにも言えることではないかと思うのですが、みな往々にして厭世的です。ペシミストです。でもそういった人たちでも結局は世間、つまり世の中と向き合っています。
「竹林の七賢」と言われた阮藉(げんせき)は竹林で仲間たちと楽器を奏で、酒を酌み交わしながら清談を行います。
王戎(おうじゅう)、自らをおとしめるためにわざと頭がおかしくなった振りをして、政争から身を守ります。
神仙術の大家、葛洪(かつこう)は山にこもり仙人になったと言われています。
酒宴・博打・女性に溺れた者もいます。山にこもり大学者になった者もいました。
こんな人たちでも世の中と向き合い、生きています。いくら世の中を嫌っていても結局は見つめ合って生きていかなければならないのです。
ここにいる畸人たちは、ただ単に畸人・変人であったのではありません。
心の中にしっかりとして芯があります。太い幹があります。信念があり、道があります。
こういうものを守り通すことが時として人から「畸」と見えてしまうのかもしれませんね。
しかし、かたくなに守り続けることは決して「畸」ではないと思います。「畸」に見えてしまっていても違うと思います。そう見ている世の中こそ「畸」なのだ、とこの小説は教えてくれているのではないでしょうか。
・読んだ日:'01/03/27~03/30。
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『中国畸人伝』 - 陳 舜臣
出版社 : 新潮社 出版日 : 1988/11/25 売り上げランキング : おすすめ平均 : → Amazonで詳しく見てみる |