いろいろと書きたいことは
あるのですが。

今日は、
熊本地震から2年、
ということで、
2年前の頃のことについて。


熊本地震があった2年前。
平成28年4月。
とーこちゃんは入院中。
とーこちゃんの心臓は
たいぶ悪くなっていて、
治療も行き詰まっていました。
今後の治療をどうするのか
決めなければいけない時期でした。

心臓移植を受けるのか受けないのか。
心臓移植を受けるのならば、
国内で待機するのか、
海外渡航して移植を受けるのか。

どの選択肢を取っても、
険しい険しい道のりです。

とーこちゃんの命の期限、
ということも
頭に浮かんでいた時期でした。
ずっと、ずっと、
とーこちゃんの成長を見守りたい。
ずっと、ずっと、
とーこちゃんの側にいたい。

一年後の私達は、
一体、
どこで、
何をしているのだろう。
先の見えない時期でした。


その頃に起こった熊本地震。
私が育った熊本で、
とんでもなく大きな地震。
テレビでの報道を毎日見て、
熊本にいる親戚や友達と
毎日連絡を取り合いました。

甚大な被害状況が連日伝えられました。
大切な人や
大切な家や物を失ってしまった
人々の様子が伝えられました。


とーこちゃんの心臓を良くする為の
一番の近道は、
海外で心臓移植を受けるという道でした。
3億円というお金がかかるので、
国内で寄付を募り、
アメリカなどの国へ渡り、
心臓移植を受ける。

それが、
一番の近道でした。

私達の選択肢の中にも、
海外での心臓移植、
という選択肢はもちろんありました。

3億円というお金も、
いろんな人に頭を下げて、
お願いしまくったら、
なんとかなるんじゃないかな、
とも思っていました。
家族がバラバラに過ごす時間も
長くなるけど。
英語も勉強しないといけなくなるけど。
家族のプライバシーも
無くなっちゃうかもしれないけど。
たくさんの批判を浴びることに
なるかもしれないけど。

とーこちゃんと
家族がまた一緒に暮らせるのならば。

なんとかなるんじゃないか、
なんとか乗り越えられるんじゃないか、
そんな思いもありました。


そんな風な考えを持っていた頃に、
熊本地震が起きました。


もし、
3億円あったなら。

とーこちゃんの命を
救うことがてきるかもしれない。

でも、
熊本地震の被害に遭われた方々のために
3億円があったら、
たくさんの人が救われるかもしれない。

数の論理では無いし。
お金の問題だけでも無いのだけれど。

3億円というお金で
1人の子供を救うのか、
我が子を1人救う為に3億円を使えるか。

私は、
使えないな、、、と思いました。
おそらく夫も、
同じ考えだったと思います。

そして、
海外での心臓移植を受ける、
という道は
私達の選択肢から外されました。

もちろん、
いろんな思いがあったし、
熊本地震、ということが
理由の全てではありません。
熊本地震が起こってなくても、
私達の選択は
変わらなかっただろうと思います。

でも、
熊本地震、
という事態が、
私達の決断に影響を与えたことは
間違いありません。


なんか、
いろいろなことが、
どこかで
繋がってるのかなぁ。



それにしても、
ほんとに
辛い時期だった。
先のことが見えなくて。
心が安まることがなくて。

熊本地震のニュースに触れると、
あの頃の
ザワザワ、フワフワした
心持ちが思い出されます。
涙が出てきます。



それでも。

私も、
私の家族も、
熊本のみなさんも、
前を見て、
空を見上げて、
進んでいくしかないんだと思う。

立ち止まったり、
つまづいたり、
あともどりしたり、
わざとまわり道したり、
わさと目を反らしたり、

そんなことがあっても、

踏ん張って
踏ん張って

生きていくしない!

「踏ん張って生きていく」
は、やっぱり、
私のスローガンだな。