コードブルー第6話は
臓器移植のことが
テーマになっていました。

移植の手術の様子とか
移植コーディネーターさんも登場したり、
結構リアルでしたね。


とーこちゃんの心臓は
少しずつ悪くなってしまって、
心臓を治すためには、
心臓移植を受けるしかないと
言われていました。

治療の選択肢としては、

①海外渡航して心臓移植を受ける
   (3億円の募金を募る必要あり
    移植後も、生涯に渡って
    通院、服薬必要あり
    合併症や
    他の重篤な病気になる可能性も高い
    生活する上で、
    本人はもちろん、家族も
    様々なことに気をつけなければならないし
    あらゆる面で制約も大きい)

②補助人工心臓を装着して、
    国内でドナーが現れるのを待つ
    (大阪の病院に転院する必要あり
     大阪と愛媛で二重生活
     or 大阪に家族みんなで引っ越し
     国内で子供のドナーが現れるのは、
     確率としては、
     ジャンボ宝くじの3億円が当たるのを
     待っているようなものだと思います)

③愛大病院で出来る限りの治療を受ける
   (房室ブロックという不整脈が出ていた為、
    ペースメーカー埋込術をする
    以後、薬物療法を続ける
    完治する訳ではなく、
    あくまでも対症療法)


私達は、
移植を受けない③の選択肢を選びました。


とーこちゃんの心臓が普通になり、
家族が揃って暮らすことを目指すのであれば
①が一番の近道です。
でも、それは、
とてもとても険しい
いばらの道。


②も、選択肢の中にはありました。


その②を選んだ家族の様子が
コードブルーに描かれていました。

臓器を提供する側、
本人と家族、

臓器の提供を待っている側、
本人と家族、

そして、
その間にいる医療者、

それぞれの立場から
臓器提供について語られています。

私は、
やはり、
臓器提供を待つ親、
に一番、
感情移入して観てしまいました。

新聞を見るときも、
どこかで事故は起きてないか、
脳死に関する記事を探し、
ドナーが現れてないか、
をチェックし、

ドナーが現れたとしても、
移植の優先順位は何番なのか、
をチェックし、

あー、
他の子に移植されたのか、
うちの子ではなかった、、、
でも、その子の心臓が良くなるんだったら、
それは良かった、
と言い聞かせる。

ほんとは、
目の前の我が子に移植されて欲しかった
元気な心臓が欲しかった、
そう思いながら。


でも、
ドナーが現れたとしても、
それは、
誰かの命を頂くということ、
どこかで命がなくなっているということ、

ドナーを待つということは、
誰かの命がなくなるのを
待つということ、
そんな自分の思いとの葛藤。

そして、
補助人工心臓を装着することによる
命に関わるレベルの合併症に
気を付けながらの生活。


そんなことを考え続ける生活。
メンタル保つの、難しいだろうなぁ。



今回、コードブルーを観て
改めて思ったことは、
臓器移植や脳死って、
一体、なんなんだろう、
ということ。
私の中でも答えが出ません。

きっと、
臓器移植って、
技術としては、
そんなに難しいものではないのでしょう。

必要の無くなった、正常な臓器と、
必要がある、正常で無い臓器が
あるのなら、
それらをうまく移せばいい、
というだけのこと。


きれいな言葉で言えば、
命のリレー。

うがった言葉で言えば、
要らなくなった臓器を
必要な人に使ってもらう、
臓器を合理的に使う
というだけのこと。


脳死についても、
様々な意見があると思います。


臓器移植については、
いろいろな思いがあって、
まとまりません。
自分の考え方も
時間の経過により
変わったりします。


ただ、

①の選択肢を選んでいれば、
今頃、
とーこちゃんと
家で過ごしているかもしれない、

とーこちゃんが
臓器移植のハードルが低い
欧米諸国に産まれていたら、
あるいは、
日本でも臓器移植のハードルが低かったら、
とーこちゃんの心臓は、
良くなっていたかもしれない、
家族揃って、
家で過ごしていたかもしれない、

私達は、一番消極的な選択③を選び、
とーこちゃんを助けてあげられなかった、
ごめんね、

という思いは、
変わりません。

ずっと、
私の胸の中にあるこの思いは、
これからも変わらないでしょう。



今もどこかで、
待機している子供たちが
いるんですよね。

頑張って、
と言っても、もう充分頑張ってると
思うので。

少しでも、
楽しみを見つけながら
生活が出来てたらいいな、
と思います。
子供さんも、親御さんも。


長文になりました。
読んでくださり、
ありがとうございますニコニコ