シアターΧ(カイ)にて、遠藤啄郎氏が脚本と演出を手がけられた「小栗と照手」を鑑賞してくる。
……いや~~すごかった。あんな小さな舞台に、さまざまな時間と空間と、人々の感情がぎゅうっと詰め込まれ炸裂していた。
流れる時間が重層的である。もとになった説教節が語り継がれる数百年の歴史的な時間、物語そのものの時間、そして舞台そのものをめぐる2時間の時。
私たちは説教節に誘われ、小栗や照手とともにあちこちへ旅をする。相模、地獄、熊野…ひとたび死んだ小栗を熊野へと運ぶのは善男善女の信仰心である。奇跡の物語ではあるがそれを支えるのが名もない人々の愚直とも見える日々のおこないであること、そう読み取れて心動かされる。
それから今日は、説教節における「言葉」の力を思った。小栗が鬼鹿毛に、殿原が閻魔に、照手が主にそれぞれ説得することで物語が動いていく。または閻魔、お上人、照手が札に書き物をする。死と再生というテーマそして言葉の力の強調ってキリスト教的?な気がした。つながっているのでしょうか。
説教節の政太夫さんも大熱演。音楽の入野智江さん岩附智之さん、それにケイタケイさん含む13名のキャスト(この方たちも素晴らしい)がそれぞれに力を奮い合い、見応え充分な舞台であった。
それにしても、遠藤氏の演出力の凄さを思う。広い舞台でキャストを多くして衣装や照明や音楽を派手にすれば(ディズニーランドやハリウッド映画みたいに)、それはそれでお腹いっぱいな公演になるだろう。でも今回私が観た「小栗と照手」はそうしたものが一切、ない。
それでもこうして、私の気持ちは激しくゆさぶられ、見終わった後にひたひたと感動の余韻がくる。これって、まさに奇跡的なことではないでしょうか?行けて本当に良かったと思った。