そうたが緊急搬送されてから3週間。


最初は熱中症のような症状で、体調がよくなかったようなのだけど、自宅で容態が急変。

搬送時から呼吸もほとんど、意識もなく、重篤な状態だった。


脳や内臓の様々なところにも不具合が起き、加えて血液中にも細菌が存在しているということだったのだけど、その発端、原因になる詳しい病名は今のところ不明。



ICUでの治療により体の数値が良くなっても意識は戻らず、様々な検査、脳波の検査を経て脳死と判定されたのは、8月29日そうたの25歳の誕生日の日のことだった。


病室でささやかな誕生日パーティをしようと昼過ぎにそうたの好きだったものを持って面会に。

病室に入るとなんと「25」のバルーンを中心に壁一面に飾り付けしてくださり、救命救急センターICUの先生や看護師さんたちからのおめでとうメッセージでたくさんお祝いしてくれていたのです。

この時はすでに、そうたが元気になる事も意識が戻ることも難しいんだろうと覚悟していたので、このお心遣いには本当に驚きと感激だった。


たぶんそうたもこれまでの人生で一番華やかな誕生日会となったんじゃないかな、場所が病室ということを除いては。


誕生日会面会が終わったあと、先生からのお話があるということで別室に案内される。

先生からのお話は、搬送された時の状況から順を追って丁寧に説明してくださり、そして現在は様々な検査を経て、脳の活動がない状態、つまりは脳死である、という言葉につながった。


その前からいずれこうなる可能性が高いという説明を受けていたので心の準備はそれなりにあったし、先生のお話はちゃんと聞いておかなきゃ、という気合もあったのだけど、いざその宣告を受けると、少しずつだんだん気が遠くなり、向かいに座っている先生の肩の向こう側の白い壁をただボーッと一点凝視しているだけになっていた。


ハッと我に帰ったとき、同席している看護師さんが私の様子を注意深く観察していたようで、目が合った。

この時自覚した。あ、今私普通の状態じゃないなと。手にしているメモ帳とペンも意味をなしていない。


この時、先生から今後の治療の方針をどうするかを決めなくてはいけない、と言われた。

要は、出来るだけ頑張って命を延ばすが、最低限の処置に留めるか、という選択。


いずれその選択をしなければならないのだろうなというのも覚悟していたし、先生もこちらの気持ちを慮ってゆっくり静かに、おそらくこれからの大事な事を説明してくれているのだが、まるで水の中にいるかのように、聞こえる言葉も見える景色も全部がボヤけていて何も入ってこなかった。

何か聞いておきたい事はありますか?との問いに、全く何も反応できなかった。


どうやって家に帰ったかも記憶がない。


今後の治療方針のお返事は1週間以内にということであった。

これから我が子を失う事になる姉が息子の命の選択をしなければいけない苦しみ、言葉がない。


脳死は人の死なのか?


臓器移植などでもよく議論となるテーマではあるけど、私自身は脳死と聞いたときに、そうたはもうこの体にはいないのか、という感覚になった。


でも、その体を前に話しかければどこかで聞いているんだろうとも感じられるし、肌が乾燥していたら、保湿してあげたいなとも思うし、マッサージしてあげたら「それくらいで大丈夫」とか「あぁ、ありがとう」とか言っているようにも思える。


でも、お医者さんや看護師さんにとって回復する見込みのない患者についてどう考えているのだろう、という心の引っかかりがあった。

ベッド数も限られた救命救急センターという場所、病気やケガを治すこと命を救う事を使命とされた救命救急センターのICUのお医者さん看護師さんにとって、そうたはどう映るのだろう、もっと言うとどういう扱い、というか、うまい言葉は出てこないんだけど、


たとえ、それがどうあったとしても受け入れなければならない事ではあるのだけど。


でもそれは、宣告の直前の誕生日会で一つわかっていた事でもある。


おそらくあの日は家族が面会に来て誕生日会をする事、その後先生からお話がある事、そしてその内容がどういう事かも知った上で、病室を誕生日仕様に飾り付けして、激務であろう救命救急センターの責任者の看護師さんはじめ、医師、たくさんの方々がメッセージを書いてくださった。


その日からも、面会に行くたびに今日はシャンプーしましたよ、とか、元気だった頃の髪型は前髪上げていましたか?顔が乾燥気味だったので保湿しましたよ、とか、普段家で使っていたシャンプー持ってきてくだされば、それ使いますね、とか、愛用品を枕元に置いておいてくれたりとか、そうたに許された最低限の処置の他にも、少しでも快適に居心地よくしてあげよう、という姿勢でいてくださっている。


プロならではのサバサバとした対応の方もいれば、家族の体調を気遣って寄り添ってくださる方もいれば、そうたと歳や背格好、食べ物の好みも似たような方の話に癒されたりもする。



先生から出された1週間の宿題については姉の気持ちを尊重し家族みんなの気持ちも合わせて、最低限の処置でという事でお願いした。

その日で治療を終了し、翌日からはそのような対応になった。

それから今日で6日目。


決して回復することのない身体ではあるけど、ちゃんと、1人の人間そうたとして大事にしてくれて本当に感謝している。


ゆらゆらとろうそくの炎を静かに見守る日々