スピリチュアルな教え
スピリチュアルとは、何かを得ることではない
何かになることでもない
何かをなすものでもない
ということをまずわかって欲しい
なぜなら、それが真髄だから
では、スピリチュアルな道、スピリチュアルな生き方とは何か?
と質問されたら、難しい答えになるが、それは孤独な道だと言える。
孤独だからこそ、個が全である生き方の、意味がわかるのだ
だから、スピリチュアルな人とかスピリチュアルメンバーの一員だとか、スピリチュアルな生活というものは実際にはない。それは偽りの言葉なのだから
また、私はスピリチュアルな修行をしていると言う人
その言葉を使うことによって自分自身に酔っているとも言えるし、偽りの自分を作っているのかもしれない❕
本人は気づいてないかもしれないが、その言葉はエゴを成長させているに過ぎない
エゴを成長させていることに気がついていないで修行をしている人に特徴的なのが、マインドで常に戦い、争い、疲労している
~すべき
~でなければならない
~しているのにダメだ
~すればきっと希望通りにいく
~を得れば幸せになれる
~してきたからこれからも~を続けなければいけない
~をしていないから、はいつまでもうまくいかない思考である
限定、固定、強制するマインドを持つ人にエゴというものは自身を変えていく。
そして、抜け出せない闇を作っている
エゴで修行を始めると
瞑想していると言いながら、思考をしているだけになる
思考と同化しているため、思考をあるがままに見れず、白昼夢の中をさ迷うようになっている
妄想や空想の世界はエゴによってつくられるのだ
もし、スピリチュアルな生き方をしているというのであれば、その人は真に誠実に生きているに違いない
自分を偽らず、だれにも平等な態度をしている人
もしあなたが、スピリチュアルな道を進むのであれば、自身の精神的な成長を志す勇気が必須だと言えよう
この勇気がないと、すぐ思考に邪魔されるからだ
不屈の心で自分自身の偽りに気がつく精神を成熟させ、努力によって達成されてきた真実への努力があなたの進む道を照らしてくれるからだ
努力によって、スピリチュアルな修行を続けていくことで、いずれ本当の休息を体験するだろう
どんなときでも休息している感覚でいられるのだ
これはマインドがしっかりコントロールされてきた証拠だ
あなたの意識は常に外側から内側へとシフトし、内側から彼方への道が作られていく
それは、スピリチュアルな光✴️だ
この光の道が魂へと導くのだ
人の努力によって得られる完全な成功体験と言える
これを神性と言う
求道の道を進めば、悟りを求めるだろうが、スピリチュアルな道を歩むなら、
ゴールは悟りでおわるものではない
悟りはマインドをマスターするためにあり、魂は自己の発見であるからだ
そして、道はさらに続くこととなる
もし、順番通りに成長の道を進むのなら、悟りはひとつの境地であり、言葉で表すなら
「ただ、そこにある」状態となる
そこは、とてつもない静かで穏やかで広がった世界だ
もしも、スピリチュアルな真の神秘体験を確実に自分のものとして、得たいのなら、より深いところにあるそこ、魂の輝きと絶対的存在との一体感を獲得したいところだ
そのために、必要なのがスピリチュアルな教えである
今現在の私から一言、アドバイスするなら
委ねきる
それがきっかけで浄化は始まるでしょう
浄化とは変化のことをさす
それは、瞑想法や呼吸法を使ったほうが分かりやすく、迷いにくい
真に誠実に生きられるようになってくれば、もはや、過去や未来に対しての思考に惑わされなくなり、相手のどんな行動にも気にならなくなっていく
そして、委ねきることが無意識まで慣れたのならば、あなたは微笑みながら、相手を知り、自分を知ることのみに集約されたものとなるだろう
常に相手から、自分から、学んで知っていくのである
考えるな、感じろ
感じたら、委ねろ
委ねたら、手放せ
手放せば、解るのだから
それがスピリチュアルな教えである