錯覚の科学 | RADIO MAD THE BLOG OF 加藤円夏

錯覚の科学


10月1日です。通りには金木犀が香り、朝晩は肌寒いくらいになってきました。ひと月前には夏の終わりをブログに綴ったのに、1ヶ月であっという間に秋は深まり、早くも今年ももうほぼ終わりだなぁと、そわそわし始めています。

皆さんは如何お過ごしでしたか、、?



わたしは、仕事と並行し次なる試験に向け勉強を継続しています。

でも、喋る、話す、という技術についても然りですが、やればやるほど、自分に足りない所が具体的に見えてきたり、更に何かを知り視野が広がる事でより焦ってしまったり、不安が募ってしまったりするのです。

最近、以前ラジオ番組でご紹介したことのある、この本を思い出したりしています。



いろんな脳の錯覚について語る内容なのですが、中でも印象的だったのが、自分の能力に関する錯覚について語る箇所だったのです(本書で触れられていた科学的な分析についてはここでは割愛します)。

チェスプレーヤーの中で、自分に対する評価が低すぎると考える圧倒的多数は、対局成績が下位半分の人たちなのだそうです。

つまりは弱いプレーヤーこそが極端な自信過剰に陥るという事な訳ですが、更には、将棋初心者が熟練の棋士と対戦し、一目半で負けた時、自分が熟練者を相手に一目半で負けた事で自らの才能を過信していたところ、後に、あまりにも力の差がある時は、強いものが塩梅して、一目半で対戦を終える流儀がある事を知り、恥ずかしい思いをした、といったエピソードもありました。

要は、経験による情報量が少なければ少ないほど、自分の能力を過大視してしまう、との事。

話は戻りますが、この下りを読んでいて、なんとなく身につまされるような気持ちがしたのを最近良く思い出すのです。

仕事が忙しく、スタジオからスタジオへと渡鳥のように移動している時期には、こんな風に自らを省みる時間もなく、更にはまるで自分にはこれだけ忙しくする程の能力がついているように過信してしまいがちなのです。

でも、久しぶりに勉強に集中しながら等身大の自分とじっくりと向き合ってみると、自分が知らない事の多さ、論理的思考力の足りなさ、集中力のなさ、と、綻びが出てくる出てくる、、、💦

歳を更に重ねた時に、豊かで素敵な奥行きを持つ顔つきでいられるように居たいなと最近思うのですが、その為には、自分の綻びに、自分で気づき続けられる心の佇まいがとても大切なのだろうなと感じるのです。

声のブログのIDとパスワードを運営機関に問い合わせたものの、やはり分からず、残念ながら声のブログの投稿が出来ず、、定期的に更新したかったのですが、早くも滞ってしまいごめんなさい🙇‍♀️

勉強が少し落ち着いたら、また声のメッセージもお届けできるよう、考えてみます✨

今日は十五夜です。
お月様、見えるかなぁ。