このお話は我が子の性同一性障害の話です。
体は女、心は男で、今はホルモン注射もし、男子として生活してます。
やっぱり不登校との関係は切っても切れない関係があるので、絡めての話になるかな…と思います。
不登校初期の頃のことは、想いは覚えているけど、何を言ったとかそういうのは、実はあんまり覚えていません
でも、いつもどうしたらいいのか分からなくて、子供の前だろうと、なんだろうとよく泣いてたなぁ
子供になんとか学校に行って欲しくて、なだめたり、怒ったり、脅したり。
なんて言葉を言ったかはあまり覚えてないけど、いやな言葉ばっかり言ってたということだけは覚えてます。
最初は少し休めば、元気になるかな、その友達とのこと、担任の先生に話してなんとかしてもらえばとか思いましたが、本人がとにかく先生がなにか動くのを嫌がったので、何も出来ず。
行きたいのに行けない我が子だけが我慢して、不登校にさせるほど苦しめた友達はのうのうと学校に来てる、その理不尽さにも泣きました
明日は行くから!
っていう我が子の言葉を信じては裏切られたってすごい機嫌悪くなって、子供を追い詰めるようなことを言って…その繰り返し。
そんな家で元気になれるわけもなく、上の子は追い詰められていきました。本当なら、ゆっくり休んで充電する時に、家でもつらい思いをしてたんですから、当たり前ですよね。
私とパパも攻め続けてたし。そのうち、自殺願望というか、生きてたくないとかの言葉まで聞くように
ついに、自殺未遂まで起こして、初めて、我が子の苦しさというか、無理に学校行かせる時じゃない!と感じ、行かせることを諦められたんです。
パパはまだまだでしたが、私はもういいと思いました。
でも、その後も上の子は家の廊下を何往復もしたり、ふらっと外に出て行ったりで、いつなにがあるか分からなくて、なにかあったらと1人にさせられなかくて、いつもあとをついて行き、ずっと見張ってたような気がします。
この時もまだまだ性同一性障害についてはわたしは気づかず。
というか、目の前の問題が大きすぎて、他は考えられなかった。
いやいや、不登校が無くても、気づいてなかったな、たぶん。
だって、予兆もなにもなさすぎて。その考えすら微塵もなかったから。
でも、我が子はこの頃から違和感から携帯でいろいろと調べ始めていた、と後から聞きました。
続きます。