敏感さ

「ひといちばい敏感な子」(1万年堂出版)という本を読みました。

 

項に分けてまとめてみます。

 

①「ひといちばい敏感な子」HSC(Highly Sensitive Child)は、エイレン・N・アーロン氏によって定義付けられたもので、

 文字通り 物事に敏感な人のことである。

 大人の場合はHSP(HighlySensitivePeople)とよばれ、5人に1人がHSPといわれ、珍し存在ではない。

 (以下の分では、HSC HSPを総じてHSCと表現する)

 

 HSCは、周囲の人がそれほど気にならない様な 音や光 刺激に強く反応する傾向があり、気持ちが疲れやすい。

 

珍しい存在ではない。といわれるように、度合いは違えど HSCの特徴が自分にも当てはまる という人はいると思う。

人付き合いや、集団において疲れてしまう、苦手だ。という人にとって、自分の気質を理解するためにも

重要な考えであるはずだ。

 

②HSPの、敏感であること気質は、決して障害ではなく、一つの性格的な個性である。

 苦労を伴い場面も多いが、人の心を敏感に読み取ることができるためリーダーとなる気質を持っている。

 

 また、遠くで起きている、災害や戦争にも大きく感情を揺さぶられ動揺してしまうこともある。

 

 

今後もこの「ひといちばい敏感な子」について、カテゴリーをつくり書いていきます。

違いを認め合える、社会を目指して。

妙君寺の縁起(歴史) 

テーマ:

無量光山妙君寺の歴史

皆様に、妙君寺について知っていただく為、妙君寺の成り立ちについて書かせていただきます。

妙君寺は、加藤きみ(無量光院妙君上人)の開基です。加藤きみは、明治期に生まれた女性です。幼少期より病気を抱え、体が弱い子供でした。しかし、法華経信仰厚く、特に守護神である妙見大菩薩へのお参りを重ね、19 歳の時、信仰の力で自らの病気を快癒させました。その時、きみ氏は「この有難い法華経信仰を皆に弘めたい」と誓願し、明治時代後期より布教活動を開始しました。初めは、自宅の仏間にて来訪者の相談を受け、共に祈り問題の解決へと導いておりました。昭和11 年に「日蓮宗木曽川仏教教会所」としての認可を受ける頃には、早朝より相談者が玄関先に並び、列の長さは数百メートルにも及んでいたという事です。その後、多くの信者さんの協力を得て、昭和21 年には、「無量光山妙君寺」と寺号公称し、正式にお寺となりました。以来、今日に至るまで妙君寺は、“人生相談のお寺”として皆さまにご参詣いただき、正しい信仰の持ち方やご相談に対する具体的なアドバイスをさせて頂いております。ご相談内容は、家庭や人間関係、身体、会社や仕事の事など多岐にわたります。皆さまに“生きる力”を与える道場と成る様、日々つとめてまいります。南無妙法蓮華経

                              “生きる力の祈祷道場”妙君寺第四世住職 加藤雄燈

 

 

檀信徒の声

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中部地方の日蓮宗のお寺の総代さん方が集まる会。檀信徒協議会(だんしんときょうぎかい)に参加した。

各お寺の代表である総代さんが、真剣に日蓮宗のこと これからの檀信徒のこと、お寺のことを考えて発言しておられました。

 

感じたのは、お寺を僧侶を “人生の支え”とする程に大いに期待しておられるということ。  (‐人‐) 

 

 

「お寺に頼ってくだる方と、心から真剣に向き合うこと」

この初心を再確認した今日でした。

 

人生相談の寺 一宮市 日蓮宗 妙君寺

 

 

お祝いのスピーチ

テーマ:

先日、東京の大学のころからの友人に披露宴での祝辞を頼まれた。

新郎からは、式進行の関係で「3分間で頼む」とのこと。しかも、昔のズッコケ話から良い話まで入れてほしいとのこと!喜んでお受けしました。

3分は、本当に短い。

お互い東海地方から東京に出てきて。都会に馴染もうとして、今思えば可笑しな生活を送っていたこと。ノートに書きだしたら、キリがなかった。

新郎の人柄を表すため「新郎といると、ホッとしませんか」と列席者に問いかけたら皆、うなづいていた。

人を安心させられるということは、人を「恕す(ゆるす)」ことができるからだ。

 

「恕す」とは、違いを認めてゆるす。という意味。許す や 赦す とは性質が違う。

今こそ、恕す 事が大切なのだ。

 

スピーチを通して、大切なことに気づかせてもらった!

ありがとう。

結婚おめでとう!!

 

一宮市 妙君寺

献血をしました。

テーマ:

随分久しぶりに、献血をしに行った。

先日 知り合った人が、献血に行くと言った。恥ずかしながら、献血というものがある事を忘れていた。駅やショッピングモールで、献血する機会はあったし 呼びかけをしているのも気づいていたのだが、足が向くことはなかった。
データをみたら、前回  献血をしたのは17年前だった。。
輸血で救われる人がいるのは、献血する人がいるからだ。。当たり前のことを思いながら、400ml献血を受けた。
そこには、募金をした時の「何に使われるんだろう」という漠然とした疑問もない。直接  ただ ひと を助ける為に使われるのだ。
スタッフの方に「平日に来てくれるAB型さんは貴重だ」と言われた。また、やろうと思った。