こんばんは。かとうです。

先日、
海の武士道―The Bushido over the Sea/惠 隆之介

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を読みました。


印象に残った部分を紹介します。

p95
日本海軍航空隊の武士道
① 空戦中、落下傘で降下中の敵兵を撃ってはいけない。
② 沈没した船から脱出して漂流中の敵兵を撃ってはいけない。
3 戦闘能力のない旅客機や客船を攻撃してはいけない。

p123
 ところで、その後の日本海軍の「武士道」にのっとった処置が、大英海軍を感動せしめた。攻撃隊は、随伴の駆逐艦が救助活動に入ると一切妨害しなかった。このため、駆逐艦「エクスプレス」は、「プリンス・オブ・ウェールズ」の右舷後方に接舷し、救助にかかった。しかも、この駆逐艦が、シンガポールに帰港した際も、上空から視認していたが、一切攻撃しなかった。
 日本海軍の「武士道」はこれだけでない、この1週間後、壱岐春記大尉(海兵62期、後中佐)は、英艦隊沈没地点に低空旋回し2個の花束を投下した。勿論日英両海軍の戦死者に敬意を表するためである。


p149
 米軍は、日本海軍と対照的に、漂流中の日本人を発見すると、軍人であれ非戦闘員であれ、容赦なく銃撃を加えている(人道的に救助した例もある)。
 1943年11月27日、ニュー・アイルランド島カビエン島沖で、ラバウル野戦病院からの傷病兵1129名を乗せた病院船「ぶえのすあいれす丸」(9625トン)は、米軍B24爆撃機に爆撃され沈没する。患者、看護婦、乗員は16隻の救命ボートと発動機艇2隻で漂流するが、12月1日、同じくB24 に発見された。この際、漂流中の乗員は、同機に対して、オーニング上に赤十字を表示したが、容赦なく機銃掃射を受け、看護婦を含む158名が戦死している。
 米潜水艦も同様であった。1943年9月18日、ニューギニア北方地点で貨物船「関西丸」(8618トン)が米潜水艦「スキャップ」の攻撃を受け航行不能に陥った結果、乗員は救命ボートで脱出したが、この潜水艦は今度浮上して、漂流中の乗員に機銃弾を浴びせているのだ。
 この点、日本海軍は、「武士道」に基づき、敵の漂流者や病院船はいかなる場合でも攻撃しなかった。



日本人に生まれてよかったと強く思いました。