和名類聚抄は辞書研究の対象となっている。狩谷棭斎が箋注を施し、文字の校勘、引書の正誤等くまなく調査している。研究者によって今日まで折に触れ再検証が行われている(注1)。中古に成った辞書がいかに成ったか、また、狩谷棭斎の足跡についても多く語られる。
一方、和語の研究上からは、どのような言葉がどのような理解のもとで使われていたかという点で和名類聚抄の資料的価値は高く、個別具体的に一語一語についてが焦点となっている。言語とは使用である(ウィトゲンシュタイン)から、和名類聚抄に記載されている言葉をそのままに受け取って検討の助けとしたい。また、言語は体系である(ソシュール)から、なるべく多くの領域をカバーして見渡すことが望ましい(注2)。よく知られる掛詞で言えば、マツという言葉は wait と pinetree を両用している。「待つ」という語しか知らず「松」という語を知らなければ、歌の修辞はわからず、歌とは縁のない人生を送ることになる。
源順は万葉集の訓を模索していたと伝えられる。「左右」とあるのを何と訓んだらいいのか悩んでいて、馬を操る人が左右の手を馬の体に当てて動かないように指示しているところを目にし、マデ(待て)と訓むのだと気づいたという(石山寺縁起)。言葉と文字との間の不思議な関係を深慮していた。自ら編んだ和名類聚抄にもその影を落とさないはずはなかろう。記載語の全体像を把握しようと努めることは、当時の言葉がどのようなものであったか、源順の目を通してではあるが理解することにつながり、多くの示唆が得られるに違いない(注3)。
〈凡例〉
和名類聚抄の底本は箋注本とした。活字については可能な限り箋注本に近い字体を探した(注4)。箋注本に付されている読点、返り点にも多く依っているが、私に改めたところもある。
割注は〈 〉で囲み、棭斎が二十巻本から補っている部分の四角囲みは[ ]で囲んだ。
文字の校訂箇所には「*原本○」と傍書した。ここでいう「原本」は箋注本のことである。
訓読については書入本ほか諸書を参照した。和名の清濁は古い段階の訓みに従う傾向をとった。
「○○に云はく、……といふ」形式の大系本日本書紀の訓読スタイルを採用したところが多い。音読み、訓読みの選択については有意の場合もあればそうでないこともある。割注部分がすぐ上の語を説明していると判断されるときには訓読文に挿入する形のままにし、和書による注釈となっているところではそれが上の語の注釈であることを反映させるべく訳出した。いずれ前述の説明を補強する形で綴っているところが多い。
(例1)
食指 左傳云、食指、楊氏漢語抄云、頭指、比斗佐之乃於與比、野王案、第二指也、
とあるのは、
食指 『左傳』云、「食指 楊氏漢語抄云「頭指 」」、野王『案』、「第二指也」、
のことで、
食指 左伝に云はく、食指〈楊氏漢語抄に云ふ頭指、比斗佐之乃於与比〉といふ。野王案ずるに、第二指なりとす。
と訳した。
親字「食指」について説明する形で pointer finger について述べている(注5)。それは、楊氏漢語抄では「頭指」と示されていて、ヒトサシノオヨビと言うのだと書いてある。また、野王のかんがえるところでは、第二指なのだと定めている。源順は以上のことをここで記していると考え、訳出した。
(例2)
淺甕 日本紀私記云、淺甕、佐良介、本朝式云、瓼、和名上同、今案所󠄁レ出未レ詳、
とあるのは、
淺甕 『日本紀私記』云、「淺甕」、『本朝式』云、「瓼 和名上同、今案所󠄁レ出未レ詳」、
のことで、
浅甕 日本紀私記に云ふ浅甕〈佐良介〉。本朝式に云ふ瓼〈和名は上に同じ、今案ふるに出づる所未だ詳かならず〉。
と訳した。
親字「淺甕」について説明するのに漢書が見当たらなかったか和書を列挙している。和書のため訓のみで説明が完結する。すべては訓みの問題に行き着いており、書名は引用元を提示しているにすぎない。そこで、「○○に云はく、……といふ」形式を約して「○○に云ふ……」とした。しかも、後者の本朝式では「瓼」に訓が付せられていたのではなく口伝でサラケと訓むとされていたようで、出所は未詳と断るために「今案」と指定している。「今案」以降は「和名上同」に限っての補足で、「和名は上に同じなのは今案ふるに……」という構造であるが、そう訳すとその説明文だけで完結してしまい、「瓼」字のルビの義を示す階層にあった本来が忘れられかねないため簡素なつくりのままとした。
(注)
(注1)近年では、『箋注倭名類聚抄』研究会による注釈研究の一部が『水門─言葉と歴史─』に掲載されている。
(注2)源順の和名類聚抄には、文字や引書等に多くの誤りがあることが指摘されている。しかし、それを問うて糺すことは、この国の中古に現れてしまっている和名類聚抄という書物の存在にとってはあまり意味のない、あるいは、無関係な検討に当たるものである。それらをひっくるめてすべてを明らかにするために、箋注倭名類聚抄の全注全訳を施そうとした試みとして、不破『箋注倭名類聚抄の研究』が挙げられる。
(注3)AIではないのですべて理解し切ることはできない。訓読文にはAIの機械学習に苦手なルビを多用している。和名類聚抄において仮名はルビであった。ヤマトコトバや日本語の素性については、これらの点を熟々考えるだけでも導かれることは多いだろう。
(注4)狩谷棭斎・箋注倭名類聚抄は国立国会図書館デジタルコレクションに収蔵がある(http://id.ndl.go.jp/bib/000000547640)。和名類聚抄のデータベースは、国立国語研究所「二十巻本和名類聚抄〈古活字版〉」(日本語史研究用テキストデータ集https://www2.ninjal.ac.jp/textdb_dataset/kwrs/、2017年11月9日公開)、劉冠偉・武倩・申雄哲・韓一・藤本灯「本草和名と古活字版和名類聚抄の全文テキストデータ (附:和名索引)」『デジタル・ヒューマニティーズ』第4巻第1号、2025年(京都大学学術情報リポジトリhttp://hdl.handle.net/2433/292626、Unicode 3.1(拡張漢字B)まで対応という)。十巻本の校勘翻刻の例としては、林2002.がある。
インターネットで閲覧可能な写本としては、尾州大須宝生院蔵倭名抄残篇(国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2536071)、大須本摸刻零本(早稲田大学古典籍総合データベースhttps://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ho02/ho02_00256/index.html)、京本(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2545186)、下総本(早稲田大学古典籍総合データベースhttps://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ho02/ho02_00399/index.html)がある。
その他刊行本としては、馬渕和夫編著『古写本和名類聚抄集成 第二部 十巻本系古写本の影印対照』(勉誠出版、2008年)、館蔵史料編集会『国立歴史民俗博物館蔵 貴重典籍叢書 文学篇 第二十二巻〈辞書〉』(臨川書店、1999年)などがあり、現存主要諸本と複製状況は、山田2017.に解説されている。
(注5)和漢で異なる対象に当てられている漢字が同一項目のなかで説明されることもある。漢文本文は標目の注釈説明ではなく、漢字表記の本文であると考えられている(不破1997.25頁)。筆者が「標目」と呼ばず、「親字」(見出し語)とした理由もそこにある。事典ではなく字典に近い性質の辞典ということになる。次の例の場合、親字は本文に再現されない。
蔔子 本草云、蔔藤、上音福、一名烏𧄏、音伏、阿介比、崔禹食經云、附通󠄁子、
親字の「蔔子」は前の「茄子」「郁子」等と合わせる形で語として抽出されている。和名抄は表記の規範となることも目指していたようである(不破『巻一ー三』900頁)。この「蔔子」は本草の「蔔藤」から採ったと考えられるのでこれを中心的な本文と見据え、同じものは崔禹食経では附通子と呼んでいると付け加えられていると見た。割注としていないのはそれが漢籍ゆえのことと考える。
蔔子 本草に云はく、蔔藤〈上の音は福〉、一名は烏𧄏〈音は伏、阿介比〉といふ。崔禹食経に云ふ附通子。
(文中に詳細記載以外の文献)
不破『箋注倭名類聚抄の研究』 不破浩子『箋注倭名類聚抄の研究』(巻一ー序、巻一ー一、巻一ー二、巻一ー三、巻一ー四、巻二ー一、巻二ー二、巻二ー三、巻三ー一、巻三ー二)(?、巻二ー一以降は奈良女子大学文学部国語国文学科遠藤研究室発行(1990年8月、1991年2月、同年8月、1992年2月)、巻三ー二は長崎大学教養部発行(1993年8月))
不破1997. 不破浩子「古辞書で調べる━『和名類聚抄』を中心として━」『日本語学』第16巻第12号、1997年11月。
林2002. 林忠鵬『和名類聚抄の文献学的研究』勉誠出版、平成14年。
山田2017. 山田健三「『和名類聚抄 高山寺本』解題」『新天理図書館善本叢書 第七巻 和名類聚抄 高山寺本』天理図書館出版部、2017年。
『水門─言葉と歴史─』第30・31・32号、2021年11月・2024年3月・2025年3月。
序
序
竊以、延長第四公主󠄁、柔德早樹、淑姿如レ花、呑二湖陽於〓〔月偏に匋〕陂一、籠二山陰於氣岸一、年纔七歲、初謁二先帝一、先帝以二其姿貌言笑、毎事都雅一、特鐘愛焉、即賜二御府箏一、手教二授其譜一、公主󠄁天然聰高、學不二再問一、一二年間、能究二妙曲一、十三絃上更奏二新聲一、自二醍醐山陵、雲愁水咽一、永辭二魏闕之月一、不レ拂二秦箏之塵一、時々慰二幽閑一者、書畫之戱而己、於レ是因レ點成レ蠅之妙、殆上二屛風一、以レ筆廻レ鸞之能、𡖋巧二垂露一、漸辨二八軆之字一、豫訪二万物之名一、其教曰、我聞思二拾芥一者、好探二義實一、期二折桂一者、競採󠄁二文華一、至二于和名一、弃而不レ屑、是故雖二一百帙文舘詞林、三十卷白氏事類一、而徒偹二風月之興一、難レ决二世俗之疑一、適󠄁可レ决二其疑一者、辨色立成、楊氏漢語抄、大醫博󠄁士深根輔仁、奉勅撰集和名本草、山州員外刺史田公望、日本紀私記等也、然猶養老所レ傳、楊說纔十部、延喜所レ撰、藥種只一端、田氏私記一部三卷、古語多載、和名希存、辨色立成十有八章、與二楊家說一、名異實同、編󠄁錄之間、頗有二長短一、其餘漢語抄不レ知二何人撰一、世謂二之甲書一、或呼爲二業書一、甲則開口裒揚之名、業是服膺誦習之義、俗說兩端、未レ詳二其一一矣、又其所二撰錄一名、音義不レ見、浮󠄁僞相交、海峭爲レ䖣、河魚爲レ𫚄、祭樹爲レ榊、澡器爲レ楾等是也、汝集二彼數家之善說一、令二我臨レ文無レ所レ疑焉、㒒之先人、幸忝二公主󠄁之外戚一、故㒒得レ見二其草隷之神妙一、㒒之老母、𡖋陪二公主󠄁之下風一、故㒒得レ蒙二其松容之教命一、固辭不レ許、遂󠄂用修撰、或漢語抄之文、或流俗人之說、先舉二本文一、正說各附二出於其注󠄁一、若本文未レ詳、則直舉二辨色立成、楊氏漢語抄、日本紀私記一、或舉二類聚國史、萬葉集、三代式等所レ用之假字一、水獸有二葦鹿之名一、山鳥有二稻𧴥之號、野草之中女郎花、海苔之屬於期菜等是也、至下如二於期菜一者上、所レ謂六書法、其五曰二假借一、本無二其字一、依レ聲託レ事者乎、內典、梵語、𡖋復如レ是、非レ無レ所レ據、故以取レ之、或復有下以二其音一用二于俗一者上、雖レ非二和名一、既是要レ用、石名之礠石、礬石、香名之沉香、淺香、法師具󠄁之香爐、錫杖、畫師具󠄁之燕脂、胡粉等是也、或復有下俗人知二其訛謬一、不レ能二改易一者上、鮏訛爲レ鮭、榲讀如レ杉、鍛冶之音、誤󠄁渉二鍜治一、蝙𧍗之名、僞用二蝛蛦一等是也、若レ此之類、注󠄁加二今案一、聊明二故老之說一、略二述󠄁閭巷之談一、摠而謂レ之、欲下近󠄁二於俗一、便二於事一、臨二忽忘一如レ指レ掌、不レ欲下異名、別號、義深旨廣、有レ煩二于披覽一焉、上舉二天地一、中次二人物一、下至二草木一、勒成二十卷一、々中分レ部、々中分レ門、廿四部百廿八門、名曰二和名類聚抄一、古人有レ言、街談巷說、猶有レ可レ採󠄁、㒒雖二誠淺學一、而所二注󠄁緝一、皆出レ自二前󠄁經、舊史、倭漢之書一、但刊レ謬補レ闕、非二才分所レ及、內慙二公主󠄁之照覽一、外愧二賢智之盧胡一耳、
窃かに以ひみれば、延長の第四公主は柔徳早く樹ち、淑姿花のごとし。湖陽を胸陂に呑み、山陰を気岸に籠む。年纔かに七歳にして初めて先帝に謁ゆ。先帝、其の姿貌言笑の、事毎に都雅なるを以て特に鍾愛したまふ。即ち御府の箏を賜ひ、手づから其の譜を教授したまふ。公主、天然に聡高にして、学ぶに再問せず。一、二年の間に能く妙曲を究め、十三絃の上に更に新声を奏す。醍醐山陵、雲愁水咽より、永く魏闕の月を辞し、秦箏の塵を払はず。時々に幽閑を慰むるは書画の戯のみ。是に於いて点に因りて蠅と成すの妙、殆と屏風に上り、筆を以て廻鸞の能も亦、垂露に巧みなり。漸く八体の字を弁へ、予め万物の名を訪ひたまふ。其の教に曰はく、「我聞く、拾芥を思ふ者は好みて義の実を探り、折桂を期する者は競ひて文の華を採るといふ。和名に至りては棄てて不屑ず。是の故に、一百帙の文館詞林、三十巻の白氏事類と雖も、徒に風月の興に備へて世俗の疑ひを決し難し。適其の疑ひを決すべき者は、弁色立成、楊氏漢語抄、大医博士深根輔仁の勅を奉じて撰集せる和名本草、山州員外刺史田公望の日本紀私記等なり。然れども猶ほ養老の伝ふる所の楊説は纔かに十部、延喜に撰する所の薬種は只一端のみ。田氏私記一部三巻は古語多く載せ、和名希に存す。弁色立成十有八章は楊家説と名は異なれど実は同じ。編録の間に頗る長短有り。其の余の漢語抄は何人の撰なるか知らず。世に之れを甲書と謂ひ、或は呼びて業書と為す。甲は則ち開口褒揚するの名、業は是れ服膺誦習するの義なり。俗説両端にして、未だ其の一を詳かにせず。又、其の撰録する所の名に音義見えず、浮偽相交はれり。海蛸に䖣と為し、河魚に𫚄と為し、祭樹を榊と為し、澡器を楾と為す等是れなり。汝、彼の数家の善説を集め、我をして文に臨みて疑ふ所無からしめよ」といふ。僕の先人、幸ひに公主の外戚たるを忝くす、故に僕、其の草隷の神妙なるを見るを得たり。僕の老母も亦、公主の下風に陪り。故に僕、其の松容の教命を蒙ることを得。固辞するも許されず、遂に用て修撰す。或は漢話抄の文、或は流俗人の説は、先づ本文を挙げ、正説を各其の注に付出す。若し本文、未だ詳かならざるときには直ちに弁色立成、楊氏漢語抄、日本紀私記を挙げ、或は類聚国史、万葉集、三代式等に用ゐる所の仮字を挙ぐ。水獣には葦鹿の名有り、山鳥には稲負の号有り、野草の中の女郎花、海苔の属の於期菜等是れなり。於期菜のごとき者に至りては、所謂る六書の法に其の五を仮借と曰ひ、本、其の字無く声に依りて事を託くる者か。内典の梵語も亦、復是くのごとく拠る所無きには非ず。故に以て之れを取る。或は復、其の音を以て俗に用ゐる者有り。和名に非ずと雖も既に是れ用ゐるを要す。石の名の磁石、礬石、香の名の沈香、浅香、法師の具の香炉、錫杖、画師の具の燕脂、胡粉等是れなり。或は復、俗人其の訛謬を知りても改め易ふること能はざる者有り。鮏を訛りて鮭と為し、榲を読みて杉のごとく、鍛冶の音を誤りて鍜治に渉り、蝙𧍗の名に偽りて蝛蛦を用ゐる等是れなり。此くのごときの類は、注に「今案」を加へ、聊か故老の説を明らかにし、略、閭巷の談を述ぶ。摠じて之れを謂へば、俗に近く、事に便にせんと欲して、忽忘に臨みて掌を指すがごとし。異名、別号、義深く旨広くして、披覧に煩ひ有ることを欲せず。上に天地を挙げ、中に人物を次ぎ、下に草木に至る。勒して十巻と成す。巻の中を部に分ち、部の中を門に分ち、二十四部百二十八門、名けて和名類聚抄と曰す。古人、言へること有り、街談巷説も猶ほ採るべき有りと。僕、誠に浅学と雖も、注緝する所、皆、前経、旧史の倭漢の書より出づ。但し謬りを刊り闕けたるを補ふは、才分の及ぶ所に非ず。内に公主の照覧を慙ぢ、外に賢智の盧胡を愧づるのみ。