久しぶりのブログです。
今年はなんだか凄い年。
chat GPTによると
今年は私
大殺界のど真ん中らしいです!!
当たってる気がします(笑)!!!
吉凶ごちゃ混ぜな感じです。
それではちょっと思い出して
3月のお話を書き留めておきます。✏️
忘れもしない3月1日。
母が倒れて緊急入院。
まさかの心臓がほぼ機能してない状態で
不整脈が起きていて
とても危ない状況でした。
入院した翌日の朝
意識を失い
ICUに移りました。
そこから1日、1日
母の身体の数値とにらめっこしながら
毎日のようにお医者様とのお話。
お話の中で
決断していかなければいけない
手術の内容。
一度じゃない。
何度も。
手術の成功の可能性は
どれもとても低くて
毎日が夢のように過ぎて
ゆめだったらいいのに
早く夢から覚めたいと
何度思ったか。
気持ちの浮き沈みが多く
ジェットコースターに乗ってる感覚。
母の数値が少しでも良くなれば
嬉しくなり
翌日にはまた不整脈が起きて
の繰り返し
意識がほぼ無い日もあれば
鎮静剤で眠りながらも
力強くぎゅっぎゅっと
手を握り返してくれた、あの日。
おかあさん
強い。強かった。
よくあの期間を耐えてくれたと
今なら思える。
ある日の手術の決断の日
その朝
父がお仏壇の火を消そうとしてるのに
3回も火が消えず
お母さん
手術して、生きたいんじゃないかな
と呟いた父のことを忘れられない。
それでも
母の痛みを伴うことを避けるために
自然に任せることに決めたのに
その日のお医者さんとの話で
数値が良くなったから
手術をすることになった
希望の日。
あれは神様からの
ギフトの日。
みるみる良くなって
意識も戻って
ICUから一般病棟に戻って
リハビリも始まって
歩く練習も始まって
束の間の安堵の日々。
毎日、お見舞いに行って
母と少しでも会話ができて
とても嬉しかった。
父の嬉し涙を何度も見た。
母の大好きなお相撲がやってる時期で
夕方は父と母
必ず一緒に病室でテレビを見ていた。
あの1週間は
神様がくれた
最後の1週間。
もう大丈夫!て
誰もが思っていたのに
発熱。不整脈。が再開して
母は天国に行った。
亡くなる数時間前に
夜のお見舞い。
母と私の最後の会話は
「あれ?夜なのに
なんでいるの?
こどもたちは大丈夫なの?
旦那さんが見てくれてるんだね。」
孫たちのことを想った言葉でした。
また明日くるね、バイバイ!
と
母の負担にならないよう帰宅。
その後に
少し横になりたい、、と
看護師さんに言って
体を横向きにした瞬間
不整脈が出て
天国に行ってしまった。
母は生きようとしていたから
多分
自分が死んだことを
最初はわからなかったんじゃないかなと
思う。
信じられなかった。
まさかほんとに
亡くなるなんて思わなかった。
不思議と亡くなった直後は
母がみんなの近くにいる気配は
すごくあった。
バタバタとお葬式の準備をする際も
これはどこだ?あれはどこだ?
という探し物は
全て閃いて見つけ出せたのは
母が
ここ!あそこ!
と指示してたのだと思う。笑
リハビリ中に母が不思議なことを言ってた。
ICUにいたとき
ずっと寝てたのに
カラフルな列車が目の前を通り過ぎてて
ずっとそれで
音もうるさくて
すごくいやだった、と。
そして
お葬式も終わって
しばらくしたあと
49日前かな
母が夢に出てきた
すごく光ってて
白い電車に乗ってて
ドアのところで手を振ってくれていた
私も手を振ったら
とても満足した笑顔で
すごく光って
パーーっと光って
列車は進んだ
すぐに目が覚めて
手を振って涙が出る私
あれは多分
母が無事に天国に向かった
最後のお別れをしにきてくれたと
そうおもっている。
私にとって母とは
私がどんなに生意気で
ワガママを言っても
最後は必ず
見捨てない
そんな母で
私にとってずっと
味方だった
困った時は
よく母に頼っていた
実家に行くと母がいて
そしたら私はいつでも
こどもになれた。
良い歳で私も母なのに、だ。
今は実家に行ってももう
こどもには戻れない。
母がいないと私は
もう、こどもには戻れないみたいだ。
父のことは
守らなきゃ、と思うから。