金曜日の地震の時、私は神戸で仕事をしていました。
建物が ユッサユッサ とゆっくりと地味ですがとても長い時間揺れました。体感時間は2~3分ぐらいだったと思います。
その時はここまで大きな地震だとは思いませんでした。


私は16年前の1995年1月17日の阪神・淡路大震災で被災しました。

当時私は被害の大きかった神戸市に住んでおり住んでいたマンションは半壊で立ち入り禁止になり、仕事も失いました。
家財道具も一部失いました。
地震の揺れがとても激しく家族を守ることはもちろん自分自身も守ることができない状況でした。
地震は朝の6時前に起きたので家族全員が一つの部屋で寝ていました。
部屋には大きなとても重いタンスがあり地震で自分達の寝ている方向へ倒れてきました。
しかし偶然寝ていた場所がタンスが倒れた隙間だったので怪我をしないで済みました。
当時私の息子は1歳半ぐらいで家族が怪我をしなくて無事だった事が不幸中の幸いでした。
明るくなってから外に出てみると街がほぼ壊滅状態であることに驚きました。
まるで映画のセットでも観てるような感じ。
とても現実だと受け入れることが出来なかった。
朝から菅原市場の方から大きな黒い煙が上がっていたのが今でも忘れられない。

阪神・淡路大震災地震による建物等の倒壊やその後の火事による被害者がほとんどでしたが、
今回の東北地方太平洋沖地震は地震による直接の被害よりも津波などによる被害が多いです。
テレビで見ましたが、水の力があれほど強いとは思わなかった。
住宅が基礎も何もかも流されるとは。
それに福島の原子力発電所の事故による被曝者が急増しているなど被害は続々と出てきています。

私が16年前に被災した時まず一番に必要だと思ったのは『水』でした。

そして『食料』、『寝る場所』、『正確な情報』でした。とりあえずそれで1週間ぐらいはしのげました。

しかし本当に大変なのはその後でした。住む場所や仕事を失いこれからどうやって生きて行けば良いのか?

先が見えない、将来に明るい希望が見つけられないで絶望的になった時がありました。

精神的にも肉体的にも経済的にもかなり辛かったです。

しかし全国の沢山の方たちの支援がありました。義援金や募金、救援物資や人的援助、そして暖かい言葉を沢山頂きました。
やはりそういうものが精神的な大きな支えとなりました。
 
そして基本的に楽天的で前向きで愚痴を言わない私の奥さんの励ましや2歳にもなってない私の息子の無邪気な部分に随分と励まされました。

起きてしまったことはどうすることもできません。

時間を過去に戻すことは出来ないし。失った物や人が戻ってくることもない。

私も強い人間で無い、弱い人間です。 
自分一人では震災から立ち直ることは到底出来なかったと思います。



こんな災害があると仏教のお釈迦様やキリスト教やイスラムの神に
『どうしてこんなに沢山の人が苦しむ事が起こるのですか?』と尋ねたくなります。