皆さんおはこんばんにちは!

長野での初アウェー戦






チーム一丸で戦った結果、無事連勝で終えることが出来ました






個人的には、今までにないくらいトスが上がって来たのに、それに応えることが出来ず悔いしかありません








しかし、まだまだリーグは長いので次戦以降、しっかり取り戻します














タイトルに戻り、今回は僕の中学時代のお話を














身長は180cmに達し、もう大人の領域に達した(身長だけ)僕ですが、ここで念願がひとつ叶う年でした













野球部入部













小学校の時も野球したりもしてましたが、基本学校の流行りはサッカーで、中休み、昼休み、放課後はサッカー、学校の部活(毎週水曜日の放課後)はバスケ(サッカーの次に流行ってた)に勤しんでいました












地元の少年団にも野球チームは3チームありましたが、そこまで野球に情熱を燃やしてなかったことを親に見透かされ、入団には至らず...(サッカーばかりやってたから)











でも内心はプロ野球選手になりたかった



卒業アルバムにもプロ野球選手になると書いてますから!





でも、屯中野球部の思い出は今でも限りなく僕の今を作った大切な3年間です




 
後に進学する高校を選んだのも








今でもなかなか会えないのに連絡くれるやつも









あの3年間があるからこそ






大変なことはいっぱいありました









スパイクはサイズが無くて特注


中3の時に、ジャージは体が大きくなりすぎて2回買い換え(2回目は特注)


同時に制服も買い換え(スラックスがスパッツみたいになる)





親には大変迷惑かけました








ですがその前の中2の時に、両親の離婚を経験しました。








目の前でのやり取りは今でも鮮明に覚えています







子供の記憶力は鮮明です。













それ以降、僕は母親一馬力で社会人になるまで育てていただきました。











だから、制服もジャージも、変えるのには母親にすごく負担をかけていたと今でも思います





それでも、僕の学校生活に支障がないように新しい制服とジャージを買ってくれた母





3年間野球を続けさせてくれた母







そして高校入学まで、自分の時間を削ってまで僕と弟に全ての時間を捧げてくれた母には









感謝の気持ちしかありません






中学時代は色々な経験をしました。




だからこその今があると思います




この経験があったからこそ、高校を選び、そこで運命的にバレーボールに出会いました












今日はここまで








次回は高校に入るまでから入ってからをご紹介致します!