「涙を流す」
人は深く共感されたときだけ、心が動く。
そうですね。
良寛和尚のこんな話がある。
『良寛さんに代って家を継いだ弟の妻の安子さんが相談に来た。
「長男の馬之助のことで思い余ってお願いに参りました。
あの子は、近頃、夜遊びがひどく、主人やわたしがどんなに言い聞かせても少しも改心のようすがありません。
こんなことではあの子の将来が案じられます。」
訓戒や説教の無駄を誰よりもよく知っている良寛さんは、困ったことを頼まれたものだと思ったが、安子さんの心中を察すると断わることもできないので、明日訪れることを約束した。
翌日、良寛さんが生家へ行くと、昨日母親が自分のことで頼みに行ったことを知らない馬之助は、伯父さんの久しぶりの来訪に心をこめて歓待しました。
二人はいろりを囲んで盃を交わしながら、四方山話に時間の過ぎるのも忘れて談笑しました。
良寛さんは、二晩を過ごしたのにもかかわらず何も説教をしてくれません。
いよいよ三日目の昼過ぎ、良寛さんはもう山の庵へ帰るのだと言い出しました。
良寛さんは玄関口へ腰をおろして、わらじの紐に手を触れながら言いました。
「馬之助、すまんが紐を結んでくれんかのう。年をとると、うつむくのが苦手でのう」
馬之助は上機嫌で「はい」と答えて、すぐ土間にとび下りました。
そして良寛さんの足許にうずくまって紐を結びかけました。
そのとき、馬之助の首筋に一滴の水気が落ちたのです。
馬之助はびっくりして仰向きますと、良寛さんの目には涙がいっぱいたたえられています。
この日以後、馬之助は放蕩をきっぱりやめて、学問と教養の道に専念するようになったのです。』(良寛さん/植野明磧・現代教養文庫)より抜粋引用
後に良寛さんは、「わたしは馬之助のために涙を流したのではない。わたしも若いころ馬之助に似たことを犯しておきながら、頼まれたからといって偉そうに意見などしようとした。そんな自分をなさけなく思って涙をこぼしたのだ」と言ったそうだ。
どんなに心をこめて説教しても、話して聞かせても、人は変わることはない。
人は深く共感されたときだけ、心が動くのだ。
それが、「辛かったなあ」という言葉。
そして、ひとつぶの「涙」。
涙ひとつで人は決意できる。
「涙を流す」
涙には大きな力がある。