”会社の肩書” | コンフォートトランセゆいのブログ

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函館市の民間患者等搬送事業、介護・福祉タクシーのブログです。
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「会社の肩書」

会社の肩書、そう言えば元同業者さんの使用人で、旦那さんの肩書きを現場に持ち込んで「〇〇(旦那さんの会社)の〇〇(苗字)です」と自己紹介していた人がいたと聞いた。


会社の肩書って、人によってはかなり大事なんだろうね。




河合薫氏が「肩書」についてこう述べている。

 

 

『定年後、孤軍奮闘した「古戦場」を訪れたり、その界隈をさまよう人は実に多い。

 

行きつけの飲み屋でママさんが振る舞う手料理や、それをさかなに飲んだくれた常連たちへの懐かしさに加え、かつての人間関係の中に居場所を確認しようと心が無意識に動く。

 

人間にはアイデンティティー(自己の存在証明、自分とは何者であるかの自己定義、あるいは自分自身は社会の中でこうして生きているんだという実感、存在意義)を探索する欲求があるため、楽しかった過去の人間関係に安寧を求めるのだ。

 

ところが現実は残酷である。

 

「昔の肩書にしがみつく元上司」「会社にしがみついているくせに文句ばかり言う元エリート」「元部下に仕事の指示をしてうるさがられる役職定年社員」などを見るにつけ、「あんなふうになったらおしまいだ」と自分を戒める。

 

ところが自分も………肩書に惑わされていた。

 

過去の人間関係に居場所を求めた自分が、滑稽でたまらないのだ。』(河合薫/東洋経済オンライン)より

 

 

 

人間関係は、定年になってから、「さあ、今からつくりましょう」ということにはならない。

 

40代や50代から培った人間関係が60代、70代にジワジワ効いてくるのだ。

 

40代、50代、もっというなら30代から、どれだけ現在の会社以外の居場所を確保できているか、ということ。

 

会社以外で、どれだけコミュニティに参加していたか。

 

自宅や会社以外の、ほっとできる場所(コミュニティ)、それをサードプレイスという。

 

 

そこでは、肩書は関係ない。

 

生の裸の人間としての付き合いがある。

 

肩書がなくても、ほっとできる場(サードプレイス)を持てる人でありたい。