ラッピング講師、ペーパークイリング講師、ペーパーアート作家

 

このような肩書で

 

2009年から2016年3月まで

 

カルチャーセンターや地域の市民活動としてのサークル、

そして企業様とお仕事をさせていただいたり、と

 

結構ハードに活動をしてきました

 

 

東にマルシェがあると聞けば東へ行き

西に作品を置いてくれそうなお店があれば西へ飛び

 

 

簡単に言うとそんな感じ

 

プラス

 

マルシェに出ていると

「うちでやりませんか?」

とか

 

お客様からも

「どこかで教えていますか?」

とか

 

そんなことからも拡がっていきました

行動をおこしているからの結果ではありますよね

 

 

 

ま、これ、ハンドメイド作家さんにとっては「ふつーにあるある」です

 

 

そのあと、

 

2022年末まで長く通っていただいていた生徒さんと続けていた講座を事実上終了

 

 

このままでいいのかな

この後はどうしようかな

 

 

実際に講座は続けていたけれど

 

実は自分の中では

かなり前からずっと考えていました

 

 

そこへコロナ禍となり

 

勝手ながら「きっかけ」として講座を休講に

 

 

 

「止めて」みたわけです

 

 

 

 

 

 

私が通う美容院のオーナー美容師さんは

 

 

止まったら終わりです

 

 

かつてそう言っていて

 

今はどうかわかりませんが

早くにお店を構えたので「祝30年!」みたいなのですが

 

 

コロナ禍までは

 

美容院がお休みの火曜日には

都内まで研修に通っていましたね

 

 

要は「向上心」や「新しい動き」に敏感になれ

的なことだと思うのですが

 

 

美容師さんもアーティスト

私もアーティストですけど

 

 

ただ、彼と違うのは

 

 

 

(私は)経営者ではないこと

 

 

 

なので彼からは

 

経営するなら止まるな

というようなニュアンスをよく言われてました苦笑

正論ではあります

 

 

でもね?

 

 

彼と私は「違う人」なので・・・

 

 

人が違えば

やり方も違ったり

 

求めるものも違ったりするので

 

 

言われてもあまり響かず

 

 

しばらくは

 

「なんでそういうことを私に言うのだろう??」

なーんて思ってた笑

 

 

 

 

 

 

 

ラッピングの先生に言われたことがあるのですが

 

 

kathyはすごくうまいわけではないのよ(ラッピングの技術が)←ハッキリと言われた苦笑

 

でも、講師になるのには

 

「技術がうまいだけではなく、別の要素も必要なの。あなたにはそれがある」

 

 

 

 

その時は

 

なんのこっちゃ??と思いましたけど

 

 

今はどこかわかる気がしてます

 

 

こんなことを言うのもまあ時効だろうなあと思うので、書きますが、私が習い始めた時、同時に習い始めた人がいたのですが、その人はめっちゃ上手で・・・。けど、どこか「私は上手い。自分さえ上手ければいい。」みたいなところがあったんですよね。私はあまりお友達にはなれないな、なタイプの人でした。先生は、彼女は上手いけど、講師には向かない、ときっぱり言い切っていたので、先生は腐っても先生ですから(笑)・・・(人に恵まれ生徒さんにも恵まれた私は「運」を味方につけたことは確かではありますが・・・実は「向いていた」のも事実だったと今なら受け取れます。)見る目があったということなのでしょうね。

 

 

 

それと同じように

 

 

経営に向いている人とそうでない人

もいるわけで

 

(私は後者だろうな)

 

 

 

 

そういうところも

 

 

止まったからわかったと思っています

 

始めた頃はガツガツに稼げる人になろう!くらいに思ってた?

てか、「稼ぐ人になる」ということにフォーカスをしていたのかも

 

 

意外なことに

 

辞めてみる(止まること)、ということをしてみたら

結構私 この時間が欲しかったのかも!

 

ということにも気づいた

 

 

 

キョロキョロ

 

 

 

昔は

 

止まったら誰かに先を越される

とか

止まったら生徒さんをとられちゃうかも

とか

 

 

結構思ってたよね

 

 

でも

 

 

 

 

それ、いま、ない

 

片言の日本語みたくなってますが、、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経営者としての活動ではなかったので

甘いっちゃ甘いところはある(自覚)

 

 

が!

 

 

関わり方は人それぞれ

 

 

経営者になってもならなくても

別に関係ない

 

 

 

私はありがたいことに

私のスタイルで活動をすることができました

 

 

 

 

そして

 

 

(講師活動を)してみたからわかったことがあり

 

(講師活動を)止めてみたからわかったことがあった

 

 

のもありがたいことでした

 

 

 

 

ニコニコ

 

 

 

 

福岡弾丸日帰りツアーでお世話になっている

まいさん

 

 

インド占星術を学ばれて

モニター募集があり応募

 

その鑑定書が届きまして…

 

 

 

 

 

お会いした時にも

 

すっごく難しい〜とおっしゃっていて

(私には西洋占星術も難しすぎてギブアップでしたが)

 

 

でも

すっごく楽しくて「これだ!」

と感じたそう

 

 

これ 西洋占星術を「やりきった」からの言葉

 

 

 

私も今までのスタイルでの「定期レッスン」スタイルは

やり切った感

 

 

 

だからきっと

今まで行ってきたような「定期レッスン」を行おうとは思わない(のだろう)・・・今は

ワークショップはやっていく予定ではあります♪

 

 

 

 

この2~3年という時は

 

 

こういうことをわかるための時間

 

 

だったんだろうなあ

 

 

 

 

感じていた時に

 

 

鑑定書を受け取りまして

 

 

 

 

 

 

西洋占星術よりも細かく鑑定がされていて

(10ページくらいにわたり書かれていた!)

 

 

 

 

具体的に私の「本質」や「向いていること」が書かれており

 

 

 

今までやってきたことや選んだ「道」は

 

星のもとに進んできていたんだなあ

 

 

しみじみと感じました

 

この「しみじみ」と感じることができたのも「止まってみた」から

 

 

 

 

ここ数か月は

 

いろんなことが「腑に落ちる」ことがすっごくあります

 

 

今まではしっかりとはわかっていなかった「言葉」の意味とか、ね

 

 

 

 

1周まわって・・・の時も実は思ったけど

今 2周くらいまわってまた

 

アーティスト(私からすると「職人」という呼び名の方が合ってるかな)であろう

 

 

 

 

星にも後押しをされながら

改めて思った

 

 

2024年9月後半でした

 

 

 

ニコニコ
 

 

 


鑑定書

先週の放映での一コマです

 

※朝ドラ「虎に翼」(以下とらつば)の内容なため、ご覧になっていらっしゃらない方はちょっと話がわからないかも・・・です。ただ、この「言葉」についての私の感じたこと自体は読んでくださるとおわかりになるかな、とも思います。とらつばの話ならいいや、の方はどうぞスルーしてくださって大丈夫です^^

 

このセリフが刺さったというお話を

私の周りで結構聞いたので・・・

 

私の経験値を含めての感想のようなことを少し・・・

 






 

この言葉だけ聞くと

 


わがまま

とか

そんなことできるわけない

とか

 

 

まあまあそんな風にも聞こえちゃうし受け取れちゃう

 


 

この時のシーンは

 


寅子の娘の優未が大学院を辞めたい、と航一に相談。

しかし航一は止める。そこへ寅子が帰宅。寅子は優未の選択を尊重する。その選択が「地獄」になるかもしれなくても「覚悟」はできているか?を問いながら。

そんな場に、彼氏を父である航一に紹介するために、娘ののどかが彼氏と家に入ってくる。その時のセリフです。


 

のどかの彼氏は「ロン毛」の芸術家の卵(と思われる人)

 

おおよそ堅ーい職業である裁判官の父航一には受け入れ難いタイプ

 




これが史実なのかフィクションなのかはわかりません(私はそこまで調べません)

 


けれど・・・

まあ よくあるパターンと言えばパターン



 

親としたら

 


娘が結婚するかもしれない相手が

収入があるかどうかもわからない輩で

みすみすそういう人に預けてもよいのかどうか?

 

・・・ということは考えるでしょう




かくいう私も

 

「結婚」となると・・・親の対応はそうでした(夫にはそれはありませんでしたが、そのもっと前の話・・・ねw夫に対しては、収入よりも「家」についての不安はすんごくあったのですが)

 


 

ここ 実は難しいよなあ

 

 

タイトルにあるセリフの前に

 


普通の家庭もいらない

子どももいらない

 


という言葉がついてくるのですが

 

 


「普通の家庭」ってなんだろう?

とかね

 


子どももいらない

ということは

 

子どもは「自分のため」という中にははいらないのかなあ?

とかね

 


 

言葉尻を捉えすぎかもしれませんが

 




今になって思うと


自分の今までの人生は

かなり「のどかのセリフに近い」スタイルだったのかも、と思いました

 


 

年齢や経験にもよりますが

 


私の周りの「刺さった」という方々とは

また違う「刺さり方」として気になったのかもしれません

 


 

もちろん私の場合は

 

のどかのように

 


最初から「こうする!」と宣言をして

 

自分を貫いて生きてきたわけではなく

 

 


結婚したのだから

夫の家の「やり方」を全てではなくとも踏襲しないとな、

とかも思ったし(実際やりましたし)

 


子どもも最初から産まない

ということは考えてはいなかったし

 

 


どちらかというと

 

 

長いものに巻かれそうになるんだけど

「何か」が私をとめて



 

いや!私はこうしたい

とか

これはやりたくない!

とか

 



そういう気持ち(本音、かな)がふつふつと湧いてきたような感じで

 


 

それを「貫いた」ら

 

自分のスタイルが出来上がった

 

 


そんな感じでした

 

 

私も夫の父が結婚早々に亡くなり

急遽夫の母と実家での同居をすることになり

 

こんなことって

全く「想定外」なわけです

 

それでもやってみた

 

けれどやっぱり「違う」

と感じたわけです




多分、結婚した方の多くは

「夫の家族との同居」を喜ばしいと受け入れるのは…難しいと感じていると思うのです


最初から「しない」と言う人も多いでしょうが

私はそれはしなかったので

 




 

ということは・・・

 

やってみる

というのも大事

 

そして

「違う」と思ってから「変える」ということも大事

 

なのです

 

 

これは「自分の選択」であり「自分が下した決断」です

 

そしてこれには「覚悟」が伴いますね

 

 

 

私自身は

 

本来がのんびりなタイプなので

(最近気づきましたが、考えているようで実は考えていない人なのである)

 



のどかほど考えてない笑

 



やってみたけどできなかった

やってみたけど違った



 

ただ、それだけ

なんですけどね

 

 

 

今 本当にのどかの言葉のように

 

自分の人生を自分のため「だけ」に生きたい

 

 

 

思う方がいるのであれば

 

 

何歳だとしても

全然やってみた方がいいのではないのかな

とは思います

 


が!

「覚悟」は必要です

 

 

やっぱり

 

全てを「持ったまま(抱えたまま)」

手にいっぱいのものを「持ったまま」では

 

身動きは取りにくいですよね

 

 

ましてや

 

 

本当の自分に還ろう

と思った時は

 

 

たぶん手に抱えているもの「全て」は

持ってはいけないのではないかな

必要がない、と言う意味です

 

 

 

私の場合は

 

同居を解消する時に

 


どう考えても一旦同居した息子夫婦が

またその家を出るって

 


嫁姑問題か!って(笑)

まあ 思いますよね


そして親戚縁者、ご近所様に良くは思われないでしょう(夫の実家はかなーりの「昔のザ・にっぽん」的な考えがまだあります)

 


実際にはそんなに険悪ではなく、3人でしっかり話し合っての決断だったのですが(何よりも夫の英断が一番でしたが)

 


 

「人の目を気にするタイプ」の私は

 

 

このことで

 


いい意味で「どう思われてもいいや」と

思えるようになったように思います


わかる人「だけ」がわかってくれていればあとはどうでもいい、ということです

 

 

今でもチクチクと

ご近所の方からは言われたりしますけど

 

 

聞こえなかったテイでスルーしたり

あまりにもカチンとくると「反論」したりしてますw

 


 

他のことに関しても

 

自分が「こうありたい」と思う方を選択できてきているので

 

昔の自分とは違う、という自覚があります

 

 

 

 

朝ドラのそのシーンの中で

 

「優未が大学院を途中で辞める」

ことに対して航一は寅子に

 


今までの苦労してがんばってきたことを無駄にしてほしくない

この年齢で何物でもない彼女に社会は優しくない

 


そういうセリフがあります

 

 

時代考証的には「昭和」ですからね

もっともなご意見

 

 

けれど令和の今でも

 

変わっていない場所(企業だったり業界だったり)はありますから

 

 

 

自分の道を選ぶ=「覚悟」は必要

 

寅子自体も

 

当時は「結婚こそ女の幸せ」な時代に

法律を学ぶ道を選んだ

母には「地獄を見る覚悟はあるのね?」と聞かれたりしています

 

 

のんびりな私は

 

 

夫の家を出る時の「覚悟」はありましたし

 

なんなら

「同居する」=今までの幸せな時間は忘れる←極端


という「覚悟」をして同居しました(まじめなので、まじめ過ぎて・・・結局自爆しましたけど)

 

 

起業に関しては


大した「覚悟」もビジョンもなく

ありがたいことではありますが「流れ」で拡がっていったものだったので

 


今のこの時間は


「考える時間」


がやってきたように捉えています

 

 


さらにこれから



ドッキドキなことに挑戦します

(初めての試み!)




今日は満月ですね



どうやら


中途半端でもとにかくやってみる



というメッセージもあるようですので…




清水から飛び降りるか

怖いはGOするか




私はこんな心境




挑発をするつまりはさらさらないのですが




とらつば、のどかの言葉が刺さって

何かを思う方がいらっしゃるようであれば



それも「自分」ですからね



認めてあげてください




ニコニコ



※朝ドラからのメッセージ、過去にもかなり書いてます。探せないけど…(⌒-⌒; )




若干の彩雲🌈



ある日の午後

 

お友達と久しぶりに「喋りたおそー!」と

ファミレスに長時間居座る(笑)

 

その時に

 

あれ?私(自分のことについて)こんなこと思ってたんだ、と

 

 

 

「ただ話しているだけ」なのですが

 

自分では「意識してなかった言葉」や

自分では「思ったことなかった言葉」がでてきて驚く

私からもお友達からも、ね

 

 

 

キョロキョロ

 

 

 

そんな気づきのお話

 

 

気づいたのはコレ↓

 

顔出しは全然OKだけど

自分を「前面」だそうと思ったことがなかった

 

 

しゃべり倒したお友達はこの方↓

 

 

どうされてるかなあ

 

と思っていたところに

 

彼女から「近況報告しあいませんかー?」

とLINEが飛び出すハート

 

 

フルタイムでお仕事をされているので

忙しいよね・・・とか思って

 

連絡をするのをちょっとためらっていたら・・・連絡をいただきました

 

 

 

シンクロ!ですわね笑

 

 

 

リンクのブログのあるように

 

彼女はエネルギーすんごく変わったんですよ

なので私にメッセージを授けよう!と

連絡をしてくれたのです(もちろん彼女の顕在意識では気づいてはいないと思いますが)

 

同じように直感鋭かったりスピリチュアル的な感覚が強かったとしても「合わない」人とは合わないので・・・たとえ1,2回会ったとしてもそのあとは、「会わなくなる」とか「会いたいと思わなくなる」ということが起こります

 

 

 

表面上は、ただの「2人だけのお茶会」的な会

 

 

ただただ、喋る、聴く、みたいな←私がいっちばんやってみたい「会」です

 

 

 

 

以前から彼女は

 

 

kathyがずっと喋ってるインスタライブとかがあったら絶対聞く(見る)のに・・・

 

と言ってくれていた

 

 

 

え?

(誰が見るの?)

 

 

 

その時は↑こんな感じの「受け」笑

 

 

 

なぜなら

 

私は全くそういうものをやりたいと思ったことないし

 

1対多 ってものにあまり興味がなかったしね

 

 

 

リアルの講座をずっとやってきたので

手工芸だしオンラインもやってみたけどあまりやりたいと思わなかった

 

 

講座も1対多ではあるけど

リアルなのでそこは全く感覚違うよね

 

 

プラス

 

そういうのは「有名な人」がやるもの

そういうのはインフルエンサーさんたちがやるもの

 

みたいな「制限」「決めつけ」もあった

 

 

 

 

もっとkathyを(自分自身を)出していけばいいのに・・・

とも言われ

 

 

 

これには

 

 

 

はっ!

 

 

 

だった

 

 

 

まいさんのHappy Bagのカードリーディングや、セッションでも言われたこと、あったなあと。帰宅後に思い出した!

その他にもそう言えば言われたことあったかも!・・・とかね

なんだか色々と思い出したりもした苦笑

 

 

 

そしてつながりましたよ、自分が自分をどう思っているのか

 

 

 

 

 

私の屋号のインスタのアカウントのアイコンは「作品」でした

 

 

なぜなら

 

「作品」のファンになって欲しかったから

 

「作品」を見て「素敵♪」「好きだなあ」

なーんて思って欲しかったから

 

 

 

 

ところが世の中は

 

まず「自分のファンを作りましょう」という風潮ですよね

 

 

そこが私には

 

 

 

 

 

 

だったわけです

 

 

 

あ、もちろん カウンセラーさん、コーチングの方、などなどは

その方の「ファン」とかになる気持ちは必要だよなあ、と

思ってました

 

 

それは

無形のビジネスですからね?

私のように「作品」があるわけではない

 

 

なので、それは確かに「(その方の)ファンを作りましょう」なのかなあ、と

 

 

けれど私の場合には「作品」があるわけです

 

 

 

「作品」が好き  以上

それでいい

 

 

 

そういう風に思っていたんですよね

 

 

 

なので

 

 

顔出しは全然OKだけど

自分を「前面」にだそうと思ったことがなかった

 

 

わけです

 

 

 

 

以下はお友達からのメッセージ:

 

 

私の魅力は

 

見た目も素敵←これはお友達の言葉をそのまま書いているので悪しからずm(__)m

お話しだったり経験値からの言葉だったり

作品は作品としてファンになることはあるけれど

 

この作品を創った人はどんな人だろう?

 

・・・という「流れ」もあるけれど

 

 

 

「私」を見てくれてから

 

どんな作品を創っている人なんだろう?

 

という風な「流れ」もある

 

 

そんな意味合いのことをおっしゃってくれたのです

※一言一句同じではないですけれど

 

 

 

 

 

 

 

考えたことなかったな、、、by きゃし

 

 

 

チーン

 

 

 

結構私、自分を「過小評価」してたのかも・・・

 

お友達に話してました

 

 

「過小評価」って言葉は

自分の「数ある能力の中の一部」に関しては思ってました

 

しかしそれは

「自分自身」ということではなかった

 

 

てか

 

そんな風に(お友達が言ってくれたように)

思ったことがなかったので

 

 

いろんな人やカードからも言われていたこと

 

「受け取り拒否」ではなく「聞いてない(笑)」って感じで、、実際言われたこと忘れてたしw

 

 

 

その日 初めて「受け取れた」気がしました

 



ま、自分の「それぞれの能力」には「自信あった」けど、自分全体としては…「自信なし」

自分を信じて生きてなかった、、のかもしれないということですね

 



ま、だからと言ってすぐに

 

 

インスタライブやります♪

 

 

とはならないけどね笑

 

 

 

だーれも見てないのにひとり楽しく♪喋ってたら・・・オモロ🤭

 

 

 

人からの言葉は素直に受け取りましょねー

 

 


なぜか?食べてる途中の画像笑。

撮るのを忘れて話に夢中な私達w