克服できなかったこと
私は車の運転ができなかった。できる気もしなかった、乗ってる自分を想像することもできなかった。田舎だったから移動はほぼ車ということで免許を半ば強制的に取らされた。ほんとに当時はシステマティックに、この年齢になったからこれをやらしてみたいな外部の圧がすごかった。それに抵抗できなかった。私は勘がよかったので、継続的にそれをできなくてもなんかその時はできてしまう、みたいなところがあった。(そういうところが度々自分の首をしめていた。)取れてしまう自分の勘のよさが嫌だった。教官しっかり落としてくれよと思った。歩行者の立場から見ても車ってなんか恐いんですけど、運転席にすわると恐怖心がすごかった。そんなんで仕事行ったとしても神経疲弊してるし、帰り道だってあるわけだし、事故おこすくらいなら選択の幅が狭い方がマシだと思う。だから田舎では自転車か徒歩で行ける範囲の仕事場を選んでいた。(そういう人にとってはテレワークは画期的だったと思う。あとは自動運転に期待。今の世の中は便利すぎる、と落胆しながら言っていた人がいたけど、私にとって便利さというのはできない部分を補助してくれるありがたい存在だ。)せっかく取ったんだから車使えよ、と言われ続けたけど、自分の意志でやったわけでもないことは自分の技能として扱えないものだよ。技能としての着実さ、みたいなものが大いに欠落していたの自覚あったけど、それをどう伝えたらいいのかわからなかった。(今だったらNe優性だけどTe劣性なんで、って言えば済むのかもしれない。)あと私は料理も苦手である。「食べるのは人間の基本なんだから料理できないのはありえない、やろうとしないだけだ」って言ってる人いたけど、ここにいるよ克服は試みたが、一品作ったらぐったりしたりする私が。(消化器もともと弱いから食指動きづらいゆえ興味わきにくいのもあるかもしれない。)切るとか茹でるとか一工程だけならできる、茹でてる間に他の何かをやる、とかはあまりできない。今はあきらめたおかげで、これにこれ入れたら美味い、とかこれとこれの取りあわせがバランスいい、とかそういう風に工夫することができるようになってきた。(悪質な添加物に悩まされることはあるが。)生活必需だからといってもそれを必ず誰しもできるとは限らない。わかりづらい、伝わりづらいことでできないことって人によってあると思う。