正しい目的のためなら、

多少の嘘(実質的には無害の嘘)は、

OKというのが、方便の考え方の一つ。


しかし、嘘には違いはないので、

方便嘘をつかれた側としては、

心配になる。


信頼度が落ちる。


これが、重なると信用ガタ落ちの

宗教や、政治みたいになっちゃうかも、、、。


社会に向けての宗教を、『顕教』と言う。


この教えのメインは、戒め、教義(教え)である。


そこには、多くの物語性があり、

沢山の方便が使用される。


あらゆる社会的現実に対応できるように

比喩的な表現で描かれている。


この宗教と言うものは、時代、社会にあわせて

沢山の戒め、教えが付け加えられていく。

非常であり、無常なあり方をしている。


沢山の異なった文化的背景をもつ人々が、交流する現代の

社会において、一つの主義主張に固執するあり方は

時代遅れである。


スピリチュアルとはなにか?


昨今、スピリチュアルと言う言葉をアーティストも

使うことが多い。


言葉の定義も、人によって違っているため、


一般的に


『私は、スピリチュアルじゃない。』とか、


『私は、スピリチュアルは嫌い。』とか


と言う風に使う。


しかし、これらの場合は、

定義や、理解が、

共通しない、

または、

全く無い状態で、使用している。


スピリチュアルと言う言葉を真剣に受け取っている

スピリチュアリストにとって、

このやり取りは、

『非常に軽薄なも』のと感じる。


スピリチュアリストにとって

『スピリチュアル』とは、

既成の宗教や 社会的観念の 時代遅れさ、

などの無常なる部分を

取り除いて、

本質的な、スピリットの部分に重点をおく

物の見方といえる。


このようにスピリットに重きを置いた宗教は、

『密教』とか、『秘教』とよばれる。


(この二つは西洋と東洋の全く別のもののようだが、

シャンバラ、ハイアラーキー、

アデンデットマスター起源であると言う意味で、

本質的に同じものといえる。)


これらの教えには、倫理的なものに加え

霊的な科学といえる部分が、多く含まれる。

そして、多くの場合この部分がメインの教えとなる。


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本来、方便とは、スピリットをくるんでいるヴェールであり、

このヴェールが衆生を、スピリットに導くのである。


仏教には、3つの分類がある。

1上座部 (オリジナルに最も近い)

2大乗仏教 (元々は、大衆に向けた教え)

3密教 (ヒンドゥー教化、★スピリチュアル化した仏教)


1の上座部時代まで仏教は、地球ロゴス、

シャンバラ、ハイアラーキーとは、関係はない。


仏陀は自力で、地球ロゴスの意識の圏外に出た。

さらに、太陽ロゴス、シリウスロゴスの意識圏外にでて、

解脱を達成した。この事は、シリウスシステムトップの

神々にとって、地球史上初であり、驚愕の事件であった。


2の時代になると、自称仏弟子の大乗仏教の聖人たちが

上座部とは異なる教えを広めていった。

それらは、

シャンバラ系列の聖人たちの 方便の教えであり、

大乗仏教の空論や、唯識論は、シャンバラの

聖人マートレイヤー=弥勒菩薩や、聖人ナーガアルジュナや、

その他の聖人の教えと言える。


3の時代になると、理論と修行方法が整備され

自力と他力が、融合された。3の見解は、1とも2とも違い、

よりヒンドゥー的なものとなった。


真理への見解の違いが、

これら3つのものの違いがと考えられるが、

最上の悟りへの道を考える時、

やはり、

オリジナルに最も近い

1が最も高い境地に到達できるものと

言われている。


1から3を見た場合、

3は、西洋のオカルトの方法論と

ほぼ同じもののように見える。

それゆえ、3は、スピリチュアル化した仏教といえる。

最も重要な仏である大日如来の姿は、

ヴィシュヌ神であり、クリシュナ神であり、

永遠の16才の青い肌色の美少年といわれる、

シャンバラの主催神=地球ロゴスのイメージと瓜二つである。


一般人、つまり、我々凡夫には、霊的事象は、検証出来ない、

絵空事だが、修行を積んだ人や、阿羅漢には、霊的次元は、

3次元以上のしっかりとした、実感を伴った現実である。


デンデン🎵