ヒンドゥー的に言えば、アートマン。
神智学で言えば、モナドが、
欲界の贍部州・せんぶしゅう 
にあるのが、殆どの人間。

このアートマンは、
コーザルボディー内にあり、それ以下のボディーの
あり方=霊的な進化段階に従って存在階層がことなる。

霊的な進化段階に従って、
アートマン存在階層がことなる。

一般的に仏教では、アートマンは、無いのであるから、
この説は、否定される。

しかし、
何故、アラカンと仏陀の悟りは大きくことなるのか?

なぜ、
妖魔や、悪魔の悟りや、地獄の悟りがあるのか?

例えば、
弥勒菩薩は、とそつ天の存在であるため、
意識の到達している世界は、
我々、贍部州・せんぶしゅう の存在とは
全く違う、遥かな高みにいる。

それでも、菩薩は、欲界の存在である。

ヒンドゥー的に言えば、最高のサマディーで
至る境地は、アートマンであるから、
その、アートマンの存在階層が違えば、
悟りの境地は、おのずと異なる。

そのため、
アラカンの境地と、仏陀では、大きく異なる。
仏陀とアラカンでは、
モナドの存在階層が、全く違う。

上座部の阿羅漢は、これを知っていた。

▼最近のスピリチュアル界隈では、

猫も杓子も『悟り』、仏陀が、インフレを起こしている。

モナドの存在階層が違うということは、

とそつ天のモナドが、悟るのは、菩薩の悟り。

せんぶしゅうのモナドは、人間の悟り。

無間地獄のモナドが、悟るのは、闇の悪魔の悟り。

その証拠に、
最近の悟ったと言う人で、仏陀と同レベルの智と、能力を
備えた人は、見たことがない。

口だけの仏陀ばかりが、横行している。

その仏陀の悟りは、せんぶしゅうの悟りを得たのである。

★一般に仏教では、アートマンは、外道の理論であるが、
存在の有無を包摂する概念であるから、
それを、有るとも、無いとも、言える。

『無い』という永遠不滅の存在ので有る。

スピリチュアルの元祖セオスソフィア=神智学では、

大きな光が、不滅の一者=至高の神であり、

それを構成する光子が、モナド。

ヒンドゥーでは、

宇宙を包含する、永遠不滅の意識が、ブラフマン。

その1単位が、アートマン。

それが、我々のハイヤーセルフであり、
アートマンであり、モナドであり、仏性である。

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以下、横山大観の弁財天