9/28: 7:00pmより、
本物の #スピリチュアルダンスワーク インド舞踊 #カタック 

仏教の唯識派では、
肉体も意識そのもの
であり、常に迷っている心と違い
身体は、物質的形をとった
仏そのものであると言う。

我々の心は、日常生活において、
猿のごとく、忙しなく動き回って、
静まることがない。
これこそ迷いと苦悩の原因である無明。

意識が物資化している身体意識は、
迷いがなく、沈黙した仏の意識そのものである。

身体の動きをすべて意識していくことで
迷いの心から離れ、
本来の自分の姿、すなわち、仏としての、
あるがままの自分自身を実感できる。

もう、
そこに日常生活と違う普遍的自分自身、
つまり、仏の意識がある。

ムーヴメントを通して、動いている、
身体の微細な体を意識する。

その精妙な微細な身体の流れを感じ、
その精妙な微細な、身体と1つに成って動く。

その時、あなたは、日常のあなたではなく、
不滅の仏としての、姿となる。

インド舞踊カタックは、まさに
動く #ヴィパーサナ である。

インド舞踊のタール(リズム)を数え、
意識の乗り物である、身体を
動かすとき、
躍り手は、音楽、
つまりカウントと言う時間の枠から
外に出ることができる。

そこは、4次元と言う時間の世界を越えた世界。
5次元である。

やってみれば、納得するはずである。

★特に、インド舞踊カタックの
 初体験の時に実感できるはずである。

インド古典舞踊カタックは、神聖舞踊であり
舞踊家を自身の仏性と繋げる舞踊です。

そう言う意味で、カタックは、
本物の #スピリチュアルダンスワーク であり、
もし、#スピリチュアルダンス の躍り手が習得すれば
更に高次元の光に到達できるでしょう。


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宗教哲学においては、
言葉を定義しなければ、
本当の意味での理解できる、議論はなりたたない。
悟り、涅槃、解脱を定義するには、
実際それを知らなければ不可能だ。

まず、我々自身である凡夫、凡妻、を考えてみる。

凡夫とは、
現状を理想と比べて『自己否定している人』

悟った人とは、明敏な気付ききよって、
自己が、そのまま、あるがままで、
仏であることに気づいている人。

涅槃に入った人とは、心の蓋のとれた人、心の波が静まり
心の幻影が消え去り、心が鏡のようになって、
プラジュニャーパラミータの
『空性 スニャータ』を悟ったひと。

解脱した人とは、
心とアラヤシキの焦点が、シャバ世界より、
浄土に移項して、シャバ世界に生まれる理由がなくなった人。
(注 ここでの心とは、表層意識と潜在意識。
  アラヤシキとは、無意識のこと。)

高尚な理論を展開しても、
その境地は、変わらず凡夫のままだ。

★#スピリチュアルダンスワーク は、
     論じるのではなく、 動いて、踊って、感じて
 体験することに意味がある。

動画の25秒あたりから、私のダンスがはじまります。