私は聖えりか様の教えに背いて、自己顕示欲や贅沢に憧れて、悪行に手を染めてしまったことがありました。そうすることで、聖えりか様のなさろうとしている原初クリスチャンへの回帰に協力できると考えたからです。そのようなことをしても聖えりか様がお喜びになるわけがなく、聖えりか様のいつも言われていた富の奴隷と化していたのです。聖えりか様は厳しい顔で私を叱責されましたが、私のような者に対して、食事を用意してくださり、祈りを終えると、食事をしながら、まるでマグダラのマリアのような微笑みを浮かべて語り始められました。
コニタンと私との絆は、信仰においての絆、すなわち霊的なものなのです。ですから、コニタンが気づかぬうちに誤った歩みをするなら私はそれを止めねばなりません。私が聖女であるかどうかは別としても、コニタンに主なる天の父の御言葉聖書を伝える立場にある以上、率直にコニタンに再調整の機会を与えます。
さあ、ここで興味深い聖書の御言葉がありますから、ご一緒にご覧ください。
「兄弟たち、たとえ人がそれと知らないで何か誤った歩みをする場合でも、霊的に資格のあるあなた方は、温和な霊をもってそのような人に再調整を施すことに努め、それと共に、自分も誘惑されないように、各々自分を守りなさい。互いに重荷を負い合い、こうしてハリストスの律法を全うしなさいとるに足りない者であるのに、自分は相当な者であると考える人がいるなら、その人は自分の思いを欺いているのです。むしろ各人は自分の業がどんなものかを吟味すべきです。そうすれば、他人と比べるのではなく、ただ自分自身に関して歓喜する理由を持つことになるでしょう。人は各々の自分の荷を負うのです。
さらに、誰でも御言葉を口頭で教えられている人は、そうした口頭の教えを与えている人と共にすべての良いことに預かりなさい。
惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ、人は自分のまいているもの、それを刈り取ることになるのです。
自分の肉のためにまいている者は自分の肉から腐敗を刈り取り、霊のためにまいている者は霊から永遠の命を刈り取ることになるからです。それで、立派な行いを行う点であきらめないようにしましょう。うみ疲れてしまわないなら、しかるべき時節に刈り取ることになるからです。ですから、時に恵まれている限り、すべての人、ことに信仰において結ばれている人たちに対して、良いことを行おうではありませんか。」
食事を終えると聖えりか様は祈り始められました。
本日も主なる天の父の恵みとしてパンに預かれたことに感謝いたします。コニタンは、あなたへの信仰のつまづきとなる困難を多数抱えてこれを克服しなければなりません。私もコニタンとの信仰においての絆に基づきコニタンに再調整の機会を与えましたが、私は単なるあなたの御言葉を伝える伝道者に過ぎません。どうか、あなたの聖霊のお力でコニタンを正しく導いてください。御子イイスス・ハリストスのように立派に教え諭す業は不完全な我々にはありませんが、御子イイスス・ハリストスを信仰の模範者としてあなたの御言葉に忠実でありたいと思います。コニタンも同じ思いです。お祈りを閉じるにあたってあなたの一人子御子イイスス・ハリストスの尊いお名前を通してお祈りいたします。
アーメン