9年前の今日、

 

東日本、いや、日本全体が

 

大打撃を受けました。

 

 

仙台出身の私は、

 

親や姉と全く連絡が取れず、

 

生きた心地がしない数日を送り、

 

その後、特別支援バスで、

 

娘と一緒に実家へ行き、

 

そのまま石巻でボランティアを

 

してきました。

 

その時のブログのコピーです。

 

 

あの時でさえ、ほとんどの人が

 

物資の譲り合いをしていたのに、

 

今やマスクやトイレットペーパーで

 

喧嘩が勃発する始末・・・

 

 

 

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今回レンタカーを借りることが出来ず、

タクシー運転手をしている友人にお願いして

石巻まで連れて行ってもらいました。

 

彼は震災の後、石巻までお客さんを乗せて行ったそうですが

その頃から見ると道路も綺麗になったと言っていました。

沢山の自衛隊の方々がアチコチに・・・

小学校には米軍の方達もいました。

 

 

震災から3週間・・・未だに目を覆うばかりです。

 

 

 

ガスリンスタンドの中に家がありました。

 

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かなり大きな製糸工場・・大きなロールが散乱しています。

工場も見る影もないほどの打撃を受けていました。

 

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墓石もこんな状態に・・・

 

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津波が逆流した川沿いです。

 

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コンビニエンスストア・・・物がないなんて文句は言えません。

 

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先ほど新宿に戻りました。

 

新宿に着いて高層ビルを見上げていたら、

昨日見た光景が嘘のようだな・・・と思いました。

 

 

これが避難所となっている小学校の一つです。

石巻のNPOの方々が物資を持ち込み、海外、NHKなどが取材に来ていました。

 

これが小学校の出入り口(裏口)です。

 

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そして校庭。避難所の外はこれが現実です。

 

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そこで遊ぶ子供達。

 

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そしてこれが救援物資を配る様子です。

 

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ここでは一人5分で20個という制限がありましたが、

何度並んでもいいという事でした。

みなさん、物資を入れて運ぶバックも紙袋もないので

ゴミ袋やダンボールに入れて運びます。

 

混乱や取り合いなども全くなく、オシメやティッシュも譲り合い。

 

 

やにわボランティアの私と娘・・・

 

「味噌汁はどこ?」

 

「持ちきれないから手伝ってくれる?」

 

「大人用のオシメカバーはある?」

 

「これは何?」

 

足元もおぼつかないお婆ちゃんが一人で袋もなくウロウロ・・・

 

「お婆ちゃん、何が欲しいの?」

 

「なにいいんだべ?」

 

「じゃ、缶詰からいこうか?」

 

一人20個・・お婆ちゃん箱に入れては

 

「あどなんぼ貰えるだべ?」

 

「うーんと、あと13個!」

 

「んで、これどこれど・・・あど何個っしゃ?」

 

こんなお年寄りが沢山いるんです。重い物を教室まで

運ぶ事も出来ません・・・

 

出口では品物の数を数えるボランティアも必要です。

ボランティアが何人いても足りません。

 

人気があったのは「手作りのお漬物」

みなさん、もう何週間もカップラーメンやインスタント物を

食べているので手作りの物はとても喜んでいました。

 

ただ手作りの食品を送るのはとても難しいかもしれません。

時間が経過しても悪くならず一品一品ジップロックの袋に入れて・・という

手作業が伴う上、賞味期限にも注意しなければいけませんから。

 

お米もありましたが「炊飯器がない」「ガスがない」「重い」という理由で

あまり人気はありませんでした。

 

韓国や中国からの物資もあったのですが、通常の輸入物と違って

日本語での表示がなく、それが何なのか、どうやって食べるのかが

分からず手に取っても持っていく人はほとんどいませんでした。

 

アメリカからホットドック用のパンも物資としてありましたが、

見た目が「大きなチクワ」状で(真ん中にソーぜージを入れる穴が

空いているのですが一瞬なんだか良く分からない)みなさん

「これ何?」「味噌汁に入れる車麩じゃないの?」

「これはアメリカのホットドック用のパンですよ」と説明して

ようやく「じゃ、貰うわ」と手に取る方も・・・

 

下着や靴下も人気がありましたが、娘が言うには

スリッパが不足しているそうです。着脱が面倒なものより

避難所ではスリッパの方がいいようです。

 

娘は子供達用のおもちゃを配っていたのですが、

そこでもみんな譲り合い。

「これは高そうだから止めよう・・」という子もいたそうです。

 

とにかくライフラインが途絶えているので、

カップラーメンやインスタント味噌汁でさえ「お湯を沸かす」事が

困難というのが現実です。

 

 

「何にもなくなってどうすればいいんだか分かんない」というおばちゃん。

「お風呂全然入ってないよ」と汚れたままの洋服で遊ぶ子供達。

「何が足りないって全部足りないっちゃ」というおじさん。

 

「こんな時に贅沢だげっとも、ビール1缶あったら夜眠れるっちゃ。

タバコ1本あったらホッとすんだげっともなー。

なんにもねぇんだっちゃ。喰いもんあるだけありがてぇんだけっともね」

 

袋にあれこれ詰めてた元気のいいオバチャンが言った一言。

 

 

「家も流れさたべし、金もねーんだ!もう失うもんなんか何もねーのっしゃー!

今日貰ったこの20個、全部プラスだっちゃー!はっはっは」

 

 

失う物は何もない。あとはプラスだけ・・・

 

東北人の逞しさ。頑張れニッポン!

 

 

 

 

 

東北には今でも仮設住宅で暮らす

 

人達が沢山います。

 

今の恵まれた日々と生活に

 

感謝を忘れず生活していきましょうニコニコ