金八先生が終わってしまった。
中高生のときに、よく見てましたね。兼末健次郎がなつかしかった。
昨日は原稿の締め切り前にもかかわらず、金八4時間スペシャルを見てしまい、現在そのしわ寄せで今日も徹夜のいきおい・・・
でも、後悔はしてません(笑)見てよかった!
とくに昔のシリーズが断片的に見れたのはよかったですね。
第2シーズンで出てきた、この「腐ったミカンの方程式」という言葉、実は社会に出てからとても実感する言葉です。
僕の仕事は塾の先生なので、子どもたちとふれ合う機会は多いのですが、それと同じくらいに親御さんとふれ合う機会が多い。
そして30歳代後半、40歳代の親御さんだと、まさにこの「腐ったミカンの方程式」と言われていた時代に青春を送った人たち。
校内暴力まっさかり、地域の不安が学校に注がれていた時代です。
今はモンスターペアレンツと騒がれている時代だけど、ちょうど青春時代を校内暴力の中で過ごした人たちが今の日本を支える中堅層になっているのですね。
教育の効果というものは、10年20年経ってみないと分からないものだけれど、それが今あらわれているように思います(笑)
排除の論理では何も解決しない。
これが「腐ったミカンの方程式」から得られた教訓でしょう。
実際に問題児と言われる不良?たちを校内や地域から排除した結果起こったこととは・・・
よりいっそうの学校の荒廃です。
学校はいつしか無関心の場になってしまった。
何より教師が生徒に無関心になり、生徒は他人に無関心になる。そして成人し、社会に地域に無関心になる。
個人主義の偏重もあいまって、よりいっそうその傾向は強くなっていたように感じます。
もちろん個別の事情は違いますが、全国的にはこの風潮が広まっていたように感じます。
そして、こうした状況を変えるためには生徒や親と真剣に向き合っていくしかありません。
以前の僕の日記でも書きましたが、ガチンコで向き合っていくしか道はないのです。
少なくとも、学校や塾は子どもたちの最後の防波堤にならないといけない。
本来教育の機会が与えられるべき子どもたちが、社会のすみっこに追いやられていく・・・
そして、その子がいつしか親となる。けれども、根本的な問題は解決されていないので、また同じようなことが繰り返される。
教育の真の目的はと聞かれれば、「自由に生きること」なのかもしれません。
親の収入で、子どもの人生が決まるなんて悲しいものです。
親の貧困が子どもに受け継がれる、、、、悲惨なことです。
子どもが自分の意志で生きたいと思う、頑張りたいと思う、教育の真価はそんなところにあると思う。
子どもから希望を奪っていくのは、今の時代は社会の無関心なのかもしれません。
社会から裏切られるから、人を信用できなくなってしまう。
けれども、どんな理屈を並べたてても、人は人の中でしか生きていくことはできないもの。
人が生きていくすべで一番大切なことは、どうやって周りとの接触を持つかということにあると感じます。
こうやって書いてみれば当たり前のことなのですが、そういった力が今の子たちは弱いように思います。
コミュニケーション能力というものは、いかに自分の苦手な人と付き合う力があるかというもの。
「あいつ嫌いだ」「死んじゃえばいいのに」
というふうに、自分の周りから都合の悪い人を排除していっても結局は幸せになれないものです。
人は一人では生きれません。自分のことを認めてくれる相手しか仲間でないのならば、それはとても寂しいこと。
自分のことを嫌うやつからも認められるようなたくましい子どもであってもらいたい。
今はとても生きていくのが難しい時代です。
折からの不況、地域社会の崩壊、そして今回の大震災。
けれども、日本人はこの日本列島の地でいつだって生活を再建してきました。
地震が起ころうが、原爆が落ちようが、戦争があろうが生き抜いてきたのです。
社会を生かすのは希望です。社会を壊すのは絶望です。
そうした希望に光を当てるのが教育であり、ひいては一人一人の大人の姿勢ではないでしょうか。
子どもというものは、大人が思っている以上に大人のことを見ているものです。自分だって、かつて子どもだったから誰もが分かっているはずなのですが。。。
排除の論理で育った親世代が、無関心世代の子どもたちの親となっている。
本来であれば、そうしたレッテル張りはすべきではありませんが、状況をよく観察することは大切です。
教育者がすべきことは、いつの時代もたった一つ「目の前の子どもときちんと向き合うことです」
どんなに子どもから嫌われようと、熱意と愛情をもって接する。
それが教育者が守るべき一つの行動原理でしょう。
僕自身もそうした教育者の一人であり続けたいと、金八先生を見ていてあらためて思いました。
子どもというものは、すぐに大人になるものだということを念頭において、
あらためて教育がなすべきことを粛々とやっていきたいと思います。
中高生のときに、よく見てましたね。兼末健次郎がなつかしかった。
昨日は原稿の締め切り前にもかかわらず、金八4時間スペシャルを見てしまい、現在そのしわ寄せで今日も徹夜のいきおい・・・
でも、後悔はしてません(笑)見てよかった!
とくに昔のシリーズが断片的に見れたのはよかったですね。
第2シーズンで出てきた、この「腐ったミカンの方程式」という言葉、実は社会に出てからとても実感する言葉です。
僕の仕事は塾の先生なので、子どもたちとふれ合う機会は多いのですが、それと同じくらいに親御さんとふれ合う機会が多い。
そして30歳代後半、40歳代の親御さんだと、まさにこの「腐ったミカンの方程式」と言われていた時代に青春を送った人たち。
校内暴力まっさかり、地域の不安が学校に注がれていた時代です。
今はモンスターペアレンツと騒がれている時代だけど、ちょうど青春時代を校内暴力の中で過ごした人たちが今の日本を支える中堅層になっているのですね。
教育の効果というものは、10年20年経ってみないと分からないものだけれど、それが今あらわれているように思います(笑)
排除の論理では何も解決しない。
これが「腐ったミカンの方程式」から得られた教訓でしょう。
実際に問題児と言われる不良?たちを校内や地域から排除した結果起こったこととは・・・
よりいっそうの学校の荒廃です。
学校はいつしか無関心の場になってしまった。
何より教師が生徒に無関心になり、生徒は他人に無関心になる。そして成人し、社会に地域に無関心になる。
個人主義の偏重もあいまって、よりいっそうその傾向は強くなっていたように感じます。
もちろん個別の事情は違いますが、全国的にはこの風潮が広まっていたように感じます。
そして、こうした状況を変えるためには生徒や親と真剣に向き合っていくしかありません。
以前の僕の日記でも書きましたが、ガチンコで向き合っていくしか道はないのです。
少なくとも、学校や塾は子どもたちの最後の防波堤にならないといけない。
本来教育の機会が与えられるべき子どもたちが、社会のすみっこに追いやられていく・・・
そして、その子がいつしか親となる。けれども、根本的な問題は解決されていないので、また同じようなことが繰り返される。
教育の真の目的はと聞かれれば、「自由に生きること」なのかもしれません。
親の収入で、子どもの人生が決まるなんて悲しいものです。
親の貧困が子どもに受け継がれる、、、、悲惨なことです。
子どもが自分の意志で生きたいと思う、頑張りたいと思う、教育の真価はそんなところにあると思う。
子どもから希望を奪っていくのは、今の時代は社会の無関心なのかもしれません。
社会から裏切られるから、人を信用できなくなってしまう。
けれども、どんな理屈を並べたてても、人は人の中でしか生きていくことはできないもの。
人が生きていくすべで一番大切なことは、どうやって周りとの接触を持つかということにあると感じます。
こうやって書いてみれば当たり前のことなのですが、そういった力が今の子たちは弱いように思います。
コミュニケーション能力というものは、いかに自分の苦手な人と付き合う力があるかというもの。
「あいつ嫌いだ」「死んじゃえばいいのに」
というふうに、自分の周りから都合の悪い人を排除していっても結局は幸せになれないものです。
人は一人では生きれません。自分のことを認めてくれる相手しか仲間でないのならば、それはとても寂しいこと。
自分のことを嫌うやつからも認められるようなたくましい子どもであってもらいたい。
今はとても生きていくのが難しい時代です。
折からの不況、地域社会の崩壊、そして今回の大震災。
けれども、日本人はこの日本列島の地でいつだって生活を再建してきました。
地震が起ころうが、原爆が落ちようが、戦争があろうが生き抜いてきたのです。
社会を生かすのは希望です。社会を壊すのは絶望です。
そうした希望に光を当てるのが教育であり、ひいては一人一人の大人の姿勢ではないでしょうか。
子どもというものは、大人が思っている以上に大人のことを見ているものです。自分だって、かつて子どもだったから誰もが分かっているはずなのですが。。。
排除の論理で育った親世代が、無関心世代の子どもたちの親となっている。
本来であれば、そうしたレッテル張りはすべきではありませんが、状況をよく観察することは大切です。
教育者がすべきことは、いつの時代もたった一つ「目の前の子どもときちんと向き合うことです」
どんなに子どもから嫌われようと、熱意と愛情をもって接する。
それが教育者が守るべき一つの行動原理でしょう。
僕自身もそうした教育者の一人であり続けたいと、金八先生を見ていてあらためて思いました。
子どもというものは、すぐに大人になるものだということを念頭において、
あらためて教育がなすべきことを粛々とやっていきたいと思います。