写楽は写楽 | 能楽師 片山伸吾のblog『冷吟閑酔』

能楽師 片山伸吾のblog『冷吟閑酔』

生粋の京男の片山伸吾が、時には舞台人として、時にはただのおっさんとして、日々の出来事を気ままに綴っていきます。

写楽が誰かということが断定されたと人から聞いた。先日NHKで特集をやっていたようだ。結論は以前から言われている能役者・斉藤十郎兵衛。ギリシャで見つかった写楽の扇子の肉筆画の筆跡など、消去法でいくと、他の候補者の説が消えて、彼だけが残るらしい。

私は元より民俗学が好きで、特にこの写楽の謎はその中でも上位に位置する話題である。他にも
 ・「かごめかごめ」の歌の意味から発展する、天海僧正の謎
 ・『小倉百人一首』の謎
など、考え出すと気になって仕方がない。だから写楽が断定されるということは、とても興味深い話なのだが、この手の話は結論付けてはいけない、と私は思う。

NHKの番組を見てないので、偉そうには言えないが、断定するには少し強引だと思うし、その昔、NHK特集でやっていた版画家・池田満寿夫氏の写楽=中村此蔵(大部屋の歌舞伎役者)説はどうなるのだろう。

舞台やドラマの世界では、安宅の関の弁慶と富樫のやりとりに様々な演出があったり、俊寛を置いて都へ戻った康頼、成経が回し者であったりするなど、脚本家や演出家のさじ加減で、様々な表現を観ることができる。そんなあほなと思うこともあるが、それもまた楽し。史実や背景が骨太であれば、大胆なアレンジもみんなに受け入れられる。

ところが真相究明となると、事情は違う。通常我々は、ある程度の説得力のある証拠を二、三突きつけられると、ああなるほどとその説に共鳴する。そしてまた違う説得力のある説を聞くと、またああなるほどと思う。

民俗学とはその繰り返しだと思う。100%の断定ができるのなら、断定すればいい。私も納得する。ただ民俗学はロマンの固まりである。有名な人物や物事であればあるほど、その対象は神格化されているといっても過言ではない。いろんな説に踊らされながらも、結局誰なんだろうなあと思っていること自体が楽しいのである。

写楽は写楽、それ以外の何者でもない。