12e1410e.jpg千島学説と風の谷のナウシカ    ~ 泣き叫んでいる細胞たち ~ ある日、がん細胞って何なのかなあと、ぼーっと考えていたら、ふと、宮崎駿(はやお)アニメの中で、私が一番好きな「風の谷のナウシ

カ」のイメージが浮かんできた。あの“腐海の森”で、毒を出して人を寄せ付けないオウムを始めとする昆虫たちが、なぜか突然、がん細胞と重なって見えたのだ。 「火の7日間」。それは人間が作り上げた

文明を焼き尽くす恐ろしい戦争でした。 それから、千年という長い長い年月が過ぎ、地球には、“腐海”と呼ばれる毒を出す植物たちの森が広がっていきました。腐海は、巨大化した昆虫「蟲(むし)」たち

の住処(すみか)。人間はその外側、残された土地に国を作り、腐海や蟲たちに怯えながら暮らしていました。誰も近寄らないその腐海の中を、たったひとりで歩いている少女がいました。少女の名はナウ

シカ。ナウシカは、自然や生き物を愛するやさしい少女でした。 ナウシカは、キツネリスのテトが牙(きば)をむいて、自分の指にかみつき血を流しても「こわくないのよ、ほら、こわくない。ねっ」と言って、指

を差し出し続ける。するとテトは、自分が噛(か)んで傷つけたために流れているナウシカの指の血を、次第になめはじめる。 「怯(おび)えていただけなんだよね。こわかっただけなんだよね」と言いながらテ

トに触れる。ナウシカは、こうして自分を攻撃してくるものと一瞬の内に仲良くなってしまう。ナウシカは知っていたのだ。攻撃してくるものは怯(おび)えているものであることを。怒っているものは、傷ついて

いるものであることを。  人間が、毒を出す森である腐海を焼き尽くしてしまおうと攻撃を始めると、腐海の王である強大な蟲オウムが人間を殺そうと暴動を起こす。ナウシカは「怒らないで、こわがらなくて

いいの。私は敵じゃないわ」と言ってオウムを抱きしめる。 オウムは人間に攻撃されたため、足はちぎれ、からだから青い体液を流し続ける。目は怒りで赤く燃えている。死にかけているオウムに寄り添い

ナウシカは言う。 「ごめん・・・ごめんね・・・。許してなんていえないよね。ひどすぎる・・・」 すべてを破壊し尽すほど荒れ狂っていたオウムたちも、ナウシカのやさしい語りかけによって静まってゆく。ナウシカ

の愛だけが、オウムの怒りと凶暴性を失速させられるのだ。私はこの場面で毎回泣いてしまう。 ナウシカは知っていたのだ。腐海は、人間が汚した世界をきれいにするために生まれた森であることを。腐

海の樹木は、汚れた土や水の毒をからだに取り入れて、地下で美しい水、空気、胞子、結晶を作っていたことを。腐海の蟲(むし)たちは、本当はみなその森を守る精であるということを・・・。 「風の谷のナ

ウシカ」と「千島学説」が、私の中で不思議に重なってしまった。千島学説(故・千島喜久男医学博士の学説)では、がんは、血液の汚れを警告しているものであり、がん細胞は汚れた血液の浄化装置だと

いう考え方をしている。現代西洋医学のがんに対する考え方とは全く違う。 千島学説は、血液は骨髄ではなく小腸の絨(じゅう)毛(もう)で作られているという学説だから、今の医学会では認められていな

い。この学説を認めてしまったら、現在の医学教育を根底から塗り替えなければいけなくなるからだという。 私は医療者ではないから、医学的にどちらが正しいのか、何が正しいのかはわからないただ、

患者は“素人”ではあるが、“当事者”なわけだから「偉大なる素人」になって、自分にとってのより良い選択をしていくしかないのだ。いのちや人生がかかっているのは患者の方なのだから。 偉大なる素人

でありたい私は、医学的にどちらが正しいかというより、どういう考え方が私にとってより納得できるのか、前向きになれるのか、行動に移せそうなのかという物差しで選択していくしかないのだ。 そういう意

味では、がん細胞=極悪(ごくあく)非道(ひどう)の超悪玉、故に、どんな手段を使ってでも殺す、叩き潰(つぶ)すという、西洋医学の好戦的な考え方より、がん細胞は、血液の汚れを警告するため、血液を

浄化するために生まれるのだから、まず、宿便をとって、腸の大掃除をして腸内細菌叢(そう)のバランスを整え、血液をきれいにし、酸化したからだを中庸(ちゅうよう)に戻し、がん細胞が生きにくい体内環

境を作ろうという千島学説のメッセージの方が腑に落ちる感覚があったのだ。 西洋医学のがん医療にたいする基本的な姿勢は、がん細胞を、親の敵(かたき)とばかりに憎み、抹殺(まっさつ)するという考

え方だ。 おそらく、これは西洋にある“善悪二元論”の考え方がベースにあるのではないだろうか。西洋は、病気そのものを悪いものと考えているから、症状をとにかく抑(おさ)える、無くす、消す、叩(た

た)くということに懸命になる。これがなぜ、西洋医学は“対症療法”と言われるかのゆえんだ。 確かに西洋医学のお医者さんは、病気、病巣、症状を「叩(たた)く」という表現をよく使うしすぐ「切りましょう」と

言う。まるで、肉や魚をさばくような感じだ。なんとなく、ああいう表現って、自分のからだを乱暴に扱われている気がする。 西洋医学のがん治療の言葉に、戦争用語が多いのも気になっていた。絶滅、根

絶、戦略一網打尽(いちもうだじん)、闘病・・・これは、感染症、伝染病のように、病気の原因が“外”にある時の疾病観のまま、がんという病気を考えているからではないだろうか。おそらく西洋医学はがん

細胞を外からやってきた、エイリアン、悪魔、テロリストと考えるから“悪の打倒”という戦争医学用語になってしまうのではないだろうか。 「病気は悪」という考え方が根本にあれば、必然的に、その悪・テロ

リストを徹底的に叩(たた)きつぶすという発想が治療の考え方になるのは頷(うなず)ける。西洋医学は、基本的に好戦的で攻撃的な医学なのだと思った。 それ故(ゆえ)、がん細胞を叩きつぶすために

は、その治療でどれだけ患者が苦しもうが我慢すべきだという考え方になるのかもしれない。そう考えると、西洋医学のがん治療には、拷問(ごうもん)に近いような痛み苦しみが多いことが納得できるの

だ。 がんというものが“死の象徴”になっているのかもしれない。まるで、がんを叩きつぶせば死が消えてしまうかのように。死は、決してなくならないのに。 がんは耐え難いストレス、極度の疲労、遺伝子を

傷つけるものの体内摂取、間違った食習慣、毒素・老廃物の体内蓄積、深い悲しみや、絶望感、無力感、自己否定感、細胞や肉体の老化、個々の患者の未知の?・・・。それらが、からだの抵抗力、免疫

力という“生命力”そのものを落として発病の引き金を引くと言われている。 だから、これに追い討ちをかけるような攻撃的な治療が次々に施(ほどこ)されるのは、患者にとってはつらい事だ。まるで傷口に

塩や明太子をすり込むような治療ばかりだ。正常細胞もがん細胞もどちらも身内なのに。 窮鼠(きゅうそ)ネコを噛(か)むじゃないけれど追い詰められればられるほど、窮鼠(がん細胞)はバカ力を出してし

まうのではないだろうか。風の谷のナウシカに出てくる、あの腐海の森のオウムと同じように。 私だって、自分を攻撃されれば必死になって自分を守ろうとする。ましてや自分が殺されそうになったら、何

が何でも生き延びようとすると思う。 私たちのからだの中にはがん細胞ができても、ちゃんとそれを消してくれる免疫細胞たちがいるのだからこの免疫細胞たちが元気になること、働き者になってくれるこ

と、いい仕事をしてくれることの方に働きかけていく治療法、健康法の方に私の関心は向かう。 免疫力、生命力があることが何よりの鍵なのだ。私たちのからだには、毎日、数千数万個のがん細胞が生

まれているのだという。なぜそれが、がんとして発病しないかというと免疫力、生命力があれば、からだ自身が、がん細胞を退治し癒してくれるので発病には至らないのだという。 私が、からだにやさしい治

療法や様々な代替医療や予防医学にこんなに関心をもってしまったのは、やはりもう二度とあのような耐え難い肉体的苦痛を味わいたくないからなのだ。それに女だから、髪が全部なくなるのももういやな

のだ。 がんをはじめとする生活習慣病、現代病には、全員が必ずこの方法で完治するという“決定打”がないのだと言う。だったら私は、このからだで実験しながら、自分に合うものを見つけていこう。ど

んな治療法を選ぶかは人それぞれだけれど、私は苦痛は最小限で、あとは自然治癒力を増幅してくれるような療法を選びたい。そして自分でできるものは自分でやっていこう。

友人のメッセージより!