悲しいけれど愛する人よ、そこにまた陽は昇る | 片山尚志(片山ブレイカーズ&ザ☆ロケンローパーティ) オフィシャルブログ Powered by Ameba

悲しいけれど愛する人よ、そこにまた陽は昇る

サウザーや野村麻紀が死んで、

京都に淋しい空気が漂っている。

ただでさえ友達に会えない毎日、

顔を合わせれば、亡くなった二人の話になる。

昨日のサウザーの「ロックンロール葬」に参加して、

今思うこと書いてみる。

 

 

 

2000年以降、騒音寺は片山ブレイカーズのライバルだった。

確実にお互いに意識していたし、

僕はなべさんに追いつこうと思って歌を練習していた。

スプリットツアーで、いろんな土地へ一緒に行ったし、

サウさんとは本当に良く呑んだ。

 

 

 

ライブで騒音寺をライバル視するような発言をすると、

大抵「そんなんやめろよ」と言ってきた。

 

 

「意識することないやろ?バンドとしては片山ブレイカーズの方が上やし、片山は片山で歌うたいとしてなべさんと肩を並べてるよ!」と。僕はそうは思わなかったけどね。

 

 

 

バンドの話に熱いところも似てたし、

ネジが外れたように間抜けなとこも似てた。

交通事故に遭って怪我をした時、

彼はお得意の燻製を届けてくれた。

いろんな土地で一緒に呑んで、

言えないようなエピソードを残してくれたし、

いろんなステージで戦った。

先輩だけど、いい友達だった。

 

 

 

こんなに云いたいことが沢山あるのに、

本人に伝えられなかった。

ステージで、それを伝えようと思ったけど、

照れ隠しのような言葉しか吐けなかった。

ほんとうの気持ちを話そうと思った途端、

泣きそうになったからです。

久しぶりに悔いの残るステージでした。

サウさん、ごめんね。

 

 

 

あんたのせいだけどね。

 

 

 

サウさんのお陰で、岡さんから電話が来ました。

10数年ぶりにチャイくんとステージにも立てた。

怒髪天のメンバーや懐かしい人たちに沢山会わせてもらったよ。

お礼を言えないのだけが残念だけどね。

 

 

 

今日もレコーディングします。

もう少しステージに立つ努力をするんで、

僕が死んだら一回くらい一緒にバンドやりましょう。

 

 

 

お別れを言う機会をくれたタムさん、トモタキさんに感謝を。

 

 

 

野村麻紀にお別れを言いたい人のためにも、

次は僕が動こう。

友人を失うのは等しく辛いから、

皆んなで少しわけあいたい。

 

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