今年も、桜の季節を迎えました。

息子が、地域活動支援センターのびのびで作っている自主作品です桜

 

この3カ月、ホントにいろんな思いをしました。

新しい出会いがあり、その成長を喜ぶこともありましたが

人を信じられなくなることもあり

本当の自分が現れて

苦しくて

もう、ブログも書けない・・と思いました。

今も、公開することを躊躇しながら書いています。

 

 

父は元日から息子に対し

「しばきあぐっぞ。きさん!(しばきあげるぞ。きさま)爆弾」と暴言を繰り返し

その異様さに、穏やかな新年のスタートとはなりませんでした。

 

1月末には

母が転倒して頭を打ったと連絡があって

仕事中に駆け付けることもありました。

幸い怪我は大したことはありませんでしたが

CTの結果、脳の萎縮を指摘されました。

 

 

そんなこんなで

まずは父の介護申請。

「要介護1」になりました。

 

病院に行っても

主治医に自分から

「ああ言えば上祐」と昔のギャク?を連発し

運動を勧められても

「昔働いたけん、もうよかと」

「布団がはなさんもん」

挙句に

「もう、(あの世から)そこまで迎えに来よるけん、よかと」

「先生、コロッと逝く薬を作ってください」・・ショボーン

 

主治医も呆れる応答ばかり。

でも、最近は

認知症のお薬が変わったこともあり

大人しく、週2回デイサービスに行ってくれるようになりました。

「きさまむかっ」という暴言も無くなりました。

相変わらず、自宅では寝てばかりだけど・・

 

 

母は

転倒した直後に、知人から杖をいただいて

認定調査の時に「杖がないと歩けません」とか

言っちゃったもんだから

こちらも要介護1の判定になりました。

 

父が週2回デイサービスに行くようになると

「うちも2回行っていいと言われた」と

介護申請中に、勝手に福祉センターの利用を週2回にする申し込みをし、

 

要介護の判定が出たので

介護サービスが始まる4月からは福祉センターに行けないと説明すると

「うちは○○に2回行くと言ったのに!」

「なんでこんなもの(介護認定証)が来ると?」

と大混乱あせる

 

父と同じケアマネージャーさんになったものの

誰と話しているのかも分からない状態に・・えー?

 

デイサービスの見学に行けば

「あんな婆さんばっかりのところは嫌!」(大して変わらん)

福祉センターも、まだ3月末まで行けたのに

結局挨拶もせずに辞めてしまって・・

 

私も、仕事を抜けて

受診同行や担当者会議の予定を立てているのに

皆さんの予定まで変更しなければならない羽目になって、振り回される。

 

自分で料理している、買い物に行っている

と言うのを信じていたけれど

どうも、行っている形跡がない。

 

父の血糖値が上がったので(A1cが8.0)

よくよく聞いたら

「おかずがなくても、ご飯があればいいと思っていた」

「糖尿だから、ご飯の量は減らすのを忘れてた」と。

 

「杖がないと歩けません」と言っていたのに

今では、杖を持つことも忘れているえー?

 

歩行的には、ヨタヨタはしていても

まだ大丈夫かなぁ、余計なこと言うから「要介護」判定になったんだ

とか思っていたけど

ここ数カ月の認知の低下はすごいことになっているショック

やっぱり再判定をお願いしなくて良かったです。

 

 

何のご縁なのか?

息子の移動支援の計画を立てていただいた市社協のケアマネさん。

今度は両親の計画もお願いすることになりました。

 

病院も、息子と両親の3人お世話になっています。

そして、その病院も市社協も、私の元職場ですアセアセ

知り合いばかりで嫌というわけではないけれど

どういうことなのかなぁうーんと考えることがあります。

 

 

引きこもり傾向の子たちの支援をしていると

若い頃の自分に引き戻されることがあります。

 

昔私には希死念慮がありました。

だけど実行する勇気がなくて

その代わりに

「いつの日か復讐する」と決心して

潜在意識の底に、しっかりと蓋をして仕舞い込みました。

 

そして今

その「いつの日か」がやってきて

「今こそ復讐するんだ」と言ってくる若いころの私と

実際には、ほぼ毎日仕事終わりに息子を連れて実家に通い

仕事の合間に受診同行をし、ケアマネージャ―と調整している私。

 

二人の私の心がせめぎ合っていて

やらなければいけない現実を

笑顔で喜んですることができません。

 

両親の支援をしながら

昔打たれた箇所が痛みます。憎しみが湧いてきます。

 

 

だけど

最近、自分の若気の至りの話をしていた時に

「本当は愛されたかったんですよね」と言ってくださる方がいました。

そうか

私は本当は両親に愛されたかったのかもしれません。

跡取りだと期待される弟だけではなくて、姉の私もここにいるんだと

認めてもらいたかったのかもしれません。

 

跡取り息子以外が犠牲になることは当たり前という考えの中で

犠牲になってきた若いころの父と母。

そして自分たちも

跡取り息子(弟)だけを溺愛することに何の疑問も持たなかったのでしょう。

 

そして今

跡取り息子?は遠方にいて、何の連絡もしてこない。

私は今こそ

両親を独り占めできているのかもしれません。

 

面倒ばかりかけられるけど

昔言われたことのない「ありがとう」の言葉は

たくさん言われていると思う。

 

私は、この言葉が欲しかったんじゃないかなぁほっこり

勝手なこと言うなよむかっむかっって

もう一人の自分が、また言ってきます。

 

でも、その自分を癒してあげられるのも

今の私しかいないのかもしれません。