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年明けにもあるかどうかといわれている衆議院の解散総辞職を受けての選挙。
だが、正式になるのは首相が解散だというまでわからず、解散宣言後わずかな日数で選挙となるから、有権者は準備(熟慮)をしている時間がない。
もちろん、選挙に持ち込む与党側もその狙いがあり、有権者にあまりその時の気分を変えてもらいたくはないのである。
しかし、それは逆に言うと、有権者が熟慮を重ねると、支持していた気持ちに変化が加わる可能性があるともいえることである。
本来は、もっとたくさんの人と話し合って、今の支持政党や支持議員をそのまま本当に支持できるかを、有権者一人一人がよく考える事は大変重要なのだ。
ほうっておけば、安倍晋三総理大臣の天下がやってくる。
果たしてそれですべていいのだろうか。
もちろん、下手な与党議員よりも安倍総理に継続して任せた方がいいという意見もある。
それもまた一つの意見である。
一方、安倍内閣の成果はあなたの手に届いているのかという事も意見として存在する。
たしかに円や株は改善され、大きな企業や輸出を主とした企業は、民主党政権時に比べて圧倒的な利益を上げている。
そういう企業の従業員は賃金も上がった。
ボーナスも出るようになったし、失業率も下がった。
だが、そういう恩恵を被らなかった企業や家庭は、むしろ消費税などの増税や社会保険などの規制強化で、民主党政権時より生活が苦しくなっている人が多い。ボーナスはおろか、非正規化も進んでいる。健康保険の納付総額が上がる一方で未納率も高くなっている。明らかに所得格差が生じているのだ。
また、安保やTPPに関する法整備は今までの価値観を変え、世界という枠組みの中で日本の存在感を高められるので賛成だという意見もあり、一方で様々矛盾や犠牲を抱えたまま数の論理で強引に成立せんとするやり方にはかなり抵抗があるという意見もある。
改憲は、特に次回の選挙では暗黙の焦点になろう。
憲法をどのように改変するかという事が、いまだに「自民党草案」だけのものであって、賛成反対ともども、我々一般生活者はもっと議論を積み重ねばならない。
これらの他にも様々な事を、深くしっかりと考える必要があるのだ。
基本的に議員を見るときは、今言っていることや接したことで感じた感情などに左右されず、過去にどういう事を言って何をやり遂げ、どういう成果につながったのかという事を考えて投票しなくてはならない。もちろん国益が結果の最大事項であり、地域や市民が犠牲になることはある。
しかしその犠牲を「いいこと」で包み隠してはいないか、自分が犠牲になることをちゃんと教えてくれていたかという事は最も重要な点である。
地元では饒舌に言っているが、国会の場に来ると発言は少なく、安倍総理のいうがままで、地元で反対意見を言っていたのに、あっさりと賛成へとくらがえる。
こうした議員は、ごくごく当たり前に存在するのだ。しかしそこで問われるのは議員ではなく、その議員を選んだ有権者である。
富山市議会の議員も、過去例を「虚偽申告」と分かっていて偽造をするという事になんら抵抗を覚えないような人を市議会議員に選んだことが、真の問題なのだ。大してその議員を研究する間もなく投票した結果なのだ。
たとえ与党議員でも、その支援は「票」という無記名の紙一枚なのである。なのに、責任など問われたら有権者は冗談じゃないと感じるであろう。
同じ紙一枚でもよく調べて、よく議論して、よく考えて、自ら自信をもって書いた一枚と、なんとなく好き嫌いやどこでもいいやという思いで書いた一枚なら、責任という負担感は全然違うであろう。
絶対の信頼の上なら責任を問われても致し方ないと言い切れるのではないか?
もし支持する議員がなんらかの不信を払しょくできないままであるなら、だったら、そんなに強力な力を持っていないがそれでも地道にぶれずにやっている野党のほうがいいという考え方もある。
注意しなくてはならないのは、獲得議席数が多いことで、安倍晋三は「万民の信任を得た」となり、数の力を最大限に使って、投票者が反対なことや不審なことでも「総意」として国会を通してしまう事だ。
安保やTPPだけではなく、年金問題や介護、保育、税金、経済、文化に関することなど、みんなそうだ。
それが「正しい」「素晴らしい」「望む政策だ」と真剣に感じるならば、普通に与党に投票すればいい。
だが、少しでも疑問があったら、だれでもいいから野党に投票しよう。
白票で出せば、当選者を「無意識」に信任したことになる。素直に投票するには抵抗があったとしても、評価されるのは数で、白票は一切数に入らないので、おのずとそういうことになる。
つまり、抵抗が少しでもあるならば、意思表示は、自分の支持する政党や議員とは違う野党や野党議員に投票するのだ。
与党への不満が高くあれば、その議員は当選し、国会における抵抗せ力にもなる。
野党の票というのは、どこに入れるべきか悩むという性格がふさわしいものではない。
野党はこうした抵抗の受け皿であり、民意を代弁しているとはいいがたい。また、野党として与党に対してとった総議席数や獲得票数が大事で、あくまで「現政権」に対する不満の表現としてのぶつけ先なのだ。
多少は同じぶつけるにしてもどこがいいというのはあるが、総じて共産党以外は似たり寄ったりで、あまり国民一人一人の意志に関係ない。
それでも与党(或いは必ず当選する地域の与野党の有名議員)は強く、また全国の立候補者も多い。
つまり野党に投票しても、以前の社会党政権や民主党政権などの野党政権を生むことはまず現状ではない。さすがに連立でもしないと単独政党の立候補者が全員当選しても過半数すら厳しいのだ。
つまり野党に流れた票数は、そのまま与党に対する「疑問」「不満」「抵抗感」「反対」の表れ。議席を取れなくても、獲得投票数が多ければ、単純に与党側を信任したことにならないし、与党への圧力になる。
そうなれば彼らも今後の政策でよく考えなければならないだろう。
こうした一連の考えに対する「準備」を、有権者は総理大臣が解散と宣言するまでによくやっておく必要がある。
最近の世論の構図は、あまりに深く追及されないものを、印象だけで単純に白か黒かで評価し、それが正論だとする事が多すぎる。
例えば、死刑は必要だ、自殺はかわいそう、遺族は大変だ、東京都は腐っている、行政は配慮がない、中国はずるがしこい、韓国はうるさい、障害者や生活保護は社会の迷惑だ、給料は上がらない、無駄遣いはよくない、松本人志や北野武は正しい、政治家は悪い、不倫は悪い、嘘は罪がある、豊洲市場は危ない、食品表示は正しい、子供に悪影響だ、いじめられる奴は逃げてはいけない、金持ちは碌なやつはいない、・・・・
この傾向は何だろうと思う。
もっときちんと、かつ深く追及するべきであり、しかも一つ一つは単純じゃものじゃなく、またあらゆる多面性があると受け入れるべきだ。
例えばトランプがイスラム教徒やメキシコ人は犯罪を生むから入国させないという事をよく言うが、日本人はそれを否定する。
だが、やっていることはそうした「単純化」と同じ原理を持っていて、同じようなことを言う可能性を持っているのである。
この多くは報道の仕方や、仲間意識感づくりという現代の人達の思考パターンが影響していると思われる。
人に嫌われ、村八分にあっても、自分の考えは簡単には妥協しないという思想が弱まっているといえるのだ。
単純化すると問題点が絞りやすく、安直に悪口を言えるという面もある。
そして何より、評論家気取りでありながら、疑うこと、研究することが足らないのだ。
学校での勉強や家庭でのあり方なども大きく影響しているのであろう。
研究しない勉強、家族という最も危険性が少ない社会にも追求や反論しないなど、仲いいこと、成績がいいことが重宝される。
そのくせ、社会が自分の価値観に合わないと、即時に火が付き、やりたい放題である。
ならば思考するという脳のシステムは何故存在しているのだろうか。
思考は社会を作る動物に共通するシステムである。
動物においては聞こえてくる情報は何の意味もない。自分の肌や舌や経験を積み重ねて構築する。
つまり情報というものは人間だけが生んだ特殊な英知で、自らの身の危険を避けるために他者に経験させようというものである。
それらの経験を深く学ぶことは、真に身を守るという事でもある。
だから他者から他者に受け継がれた情報は疑う余地があるし、その事実が真にわれわれ人間に利益をもたらすものか否か研究する必要があるし、さらに自分がより身につくまで追求する必要があるのだ。
また、大して自分の身に影響がない事は、自分が単に伝達者になるので、できる限り避けて通る必要もある。
余計なお世話も、同じく情報の押し付けでしかない。
単純化した思考の構図は、こうした人間のアイデンティティを崩壊する悪しき文化なのだ。