2006年 前半 | いつか晴れると信じて

いつか晴れると信じて

夫と私と娘


病的ギャンブラーの夫と共依存の私と将来ACになる可能性が否めない娘



とまらない強迫性との闘いの記録。

時々家族日記。

2006年

1
産婦人科の紹介で夫クンの精神科を大きな医療センターに変更
借金してまでパチンコに行っているのがばれて平気になったのか
病気という免罪符をもらった気でいるのか
借り方がどんどんエスカレートする。

例えばこの月は
10日→3万+4万
14日→2万+2万+2万
17日→3万
18日→2万
21日→3万+3万+2万
23日→2万
24日→5万
25日→3万+2万
26日→3万+3万+3万
27日→5万
31日→3万
合計→55万円!!

ばれた時点で即カード没収プンプン


この頃は躁の症状はほとんど出ず
鬱の症状が続いていた。

眠れないと夜中に嗚咽したり

スーパーに行くと 『人がたくさんいてこわい』 とオドオドしたり

仕事に行くと家を出た後に 『仕事行けない。親に休む連絡してください 

嫁チャンに迷惑かけたくないけど、仕事いけない俺は失格やね

娘以下だ

助けて』 ってメールがきたり


当時は気づかなかったが

日記を読み返して

『パチンコしよったら途中でやめれんくなる

1時間おきとかに様子見のメールを送って欲しい』

と頼まれたことがある。

夫クン、この頃は自覚があったのだねひらめき電球



2
一緒に生活するのが苦しくなってきたハートブレイク

仕事のことを考えないですむように

私の調子が悪くなるのを防ぐために

娘を置き去りにしたり、連れてどこかへ逃亡しようとしたりするようになったので

それを防ぐために

入院することになった。

入院時の検査で高脂血症が発覚ガーン

踏んだり蹴ったり

さらに驚くことに、入院中も病院を抜け出してパチンコへ行っていたらしい


その額12万円!!



3
娘が離乳食を始める

入院中のベッドで離乳食を食べる娘を見て

涙ぐむことがあった。

診断が『躁鬱』から『外傷性神経症』に変わる

事故のあたりから様子がおかしいのでそう判断されたらしい。

入院したことによって

義親も同席して先生の説明をきくことがあるが

『今までそんなことはなかった』を繰り返すばかりで

全く話にならないしょぼん

『お子さんが産まれて赤ちゃんがえりしてる部分もあるでしょう』

『今まで持っていた性格が事故をきっかけに表に出て

社会生活が上手くできなくなったんでしょう

もともと持ってる性格だから、なおるまでにかなり時間がかかるでしょう

正直、家族がきついと思いますが、

ギャンブル依存症にならないように気をつけてください

こんなこと言われてたなんて

正直驚きです。

今まで忘れてました。

この時点で食い止められなかったことを悔やまれてなりません。

20日に退院

3月の借金額→28万円!!


同じ頃、妹も入院病院 (別の病院です)


4
なんとかぼちぼち仕事にいけるようになった。

この月はカードを没収していたのと、

限度額近くまでカードを使いきっていたので借金はできていない

でもカードを財布から抜いたのがわかると

駄々を捏ねる子供みたいに

『パチンコいくつもりだったのに!!

カードいるのに!!』 を連発。

正直、こっちが泣きそうになった。



5

車をこすったり

ぶつけたりするようになった

ぼ~っとしてるから車を運転させるの危ないなと思っていた矢先

スピード違反で捕まる叫び


貧乏ゆすりが激しかったり

人の話が聞けなかったり

記憶が途切れ途切れになることが多くなった。

週に4日ほどパチンコに行き

連絡はほとんど取れず

帰ってきたら

執拗に甘えてくるけど

こっちはそんなの受け入れられる心理状態じゃないし

でもお構い無しにイチャイチャしてきて私が泣くまでやめなかったり

『嫁チャンにはもう何も期待せん 死ねばいいのに』

なんて言うようになった

しんどいのは私も同じ

いや、普通でいるからこそ私のほうがしんどいのに

いっそ頭がおかしくなったらどんなに楽だろうと思った。