日本統治時代、学校では日本語、家族とは台湾語で暮らして、今の80歳以上の台湾人は日本語がペラペラ、漢字も良くご存知です。
その日本語たるもの、古き良き時代の美しい日本語なのです。
台北を歩いているとご高齢の台湾人が日本語で話していました。
トイレのことを「ご不浄」と言うし、
「どうぞ、客間にいらして下さい」と、案内してくれたり。
お宅はごく普通のおうち、
あれ?今、思うとベッドでなく日本式だったわ。
メラニー(カナダ移民になった時に英語名がついた模様)のお母さんは
「台湾人は日本から礼節を教えてもらったことを感謝をしている」
と、言っていました。
お母さんは私の母より3歳年長で偶然にも日本名が同じでした。
日本人から差別は全く受けなかったそうです。
強いて言えば日本名をつけたほうが女学校に入学しやすかったくらい。
でも日本名をつけることは全く嫌ではなかったそうです。
かの真珠湾攻撃の暗号「新高山」が台湾の山であったこともお母さんから教えていただきました。
メラニーの家では「上げ膳、据え膳」で何もお手伝いをさせてくれませんでした。
日本語でお母さんとおしゃべりすることが一番の親孝行だったようでメラニーも喜んでくれました。
お母さんの記憶力と物知りには驚くばかりで私にとってもとても有意義な旅となりました。
ちょうど開催されていた「台北食品博覧会」。
試食三昧、それも体に良いものばかりでした。
