ずっと、求めていたものを手に入れて。
すべては内側にあったんだとさえ気づき、
もう何も求めるものはないと思っていたのに。
統合したからこそ、動きたくなるものがあって。
「足りない」ものを追うんじゃなく、(欲)
「満たされた」うえで走り出したくなるもの(向上心・本能)に気づき、
意識が180度変わるような変化(脱皮)に鐘を鳴らすこともできたけれど。
動くと、出てくる壁があって。
動いたからこそ、気づけた枠もあって。
せっかく「幸せのど真ん中」に立て、もう動く必要はどこにもなくなったのに
人はまたあえて「外」に飛び立とうとするんだよね。
でも、そう。
それが「人間」だから。
やっぱり人は、体験するために生まれ、
「極上の至福のなかに身を置きつづけるのは天界に帰ってからでいい」と、
きっと神様と約束してこの世に生まれてきてるんだよね。
だから。
時間がかかっても、「超えていく」体験を選択する。
お金がかかっても、「広がり、本当に自分が体験したい世界を創造し、わかちあう」を選択する。
ただ、選択するだけ。
「家庭か、仕事か」という二者択一も、
場合によっては、また人によってはとても素晴らしい決断かもしれない。
でも。
「どちらも」選ぶことだって、大きな覚悟。
いつだって、中間管理職の立場が
たくさんのバランスを取りあって生きることになるのだから…
「仕事」を選んだ人も、
「家庭」を選んだ人も、
「どちらも」を選んだ人も。
それが“本当に”こころから望むものであれば、きっと幸せに。
でも、どの道を選んでもそれぞれに覚悟はいるのを体感し、
だったらまずはこころのまま「やってみる」という選択肢を
持つのも悪くない。
人生には
「やりなおし」がきくというオマケがいつでもついているから。
そして案外、このオマケに大切なものがいっぱい詰まっているから…♪
仕事に走り、家庭に還り、
また“間”の道を模索する。
そこに、“正解”なんてなくて、
人の数だけ道も無数で、いつだってバランスを取りながらだけど。
そしてその比重も、
人によって時によって神によって、移り変わる=循環するものだけど。
最後に必要なのは、
人でも時でも神でもなく、「自分の意思」なんだよね。
最強の、願望実現ツールは
いつも自分のなかにあると感じて。
答えも、自分のなかにあると信じて。
自分で決めたことなら、人生いつでも自分が主役。
「家庭」という傘で枯らすことなく
本当の本当のこころの本音に従って、
時間がかかっても水やりだけはどこかで続けられますように。
「今」と「未来」の間に咲く花にも意味があること、
そして何より本当にこころから幸せを感じられる人生を
意図することなく応援しています。