日本刀の名品を鑑賞しましよう その3

 

短  刀   濃州住善定兼吉  応永十年八月日

 

 

 

種    別  短 刀

 

刃    長  9寸5厘

 

反    り    な  し

 

元    幅    8分2厘

 

元    重    2分2厘

 

造 込 み   平造り短刀、行の棟、反りはなく、身幅の割りに重ねは厚め表裏に

      棒樋を区上にて丸留に彫る

 

地    鉄   板目に流れ柾が入る。柾肌は表中程、裏は刃寄りに顕著目だたな

             いが地の中に白ケ映り立つ

 

刃    文   匂い出来の細直ぐ刃、匂い口は締まる、裏刃中に僅か小足が入る

 

鋩    子   尋常な小丸、返り僅か喰い違い状となるも目立たない

 

解  説

美濃国善定兼吉初代(応永)の作です。

 

  平造りの短刀で重ねは厚めですが身幅狭く反りの無い刀姿と地鉄板目に柾

 

肌が顕著な鍛えに刃文は匂い口の締った細直ぐ刃の特徴から美濃物、特に

 

大和伝を強く感じとれるものでした。

 

  出題刀の兼吉は応永初期の年記があり兼吉の中でも古く初代と判断される

ものです。

この時代の兼吉は押形のとうり銘字が大振りであり時代が下って室町中期頃

 

と思える兼吉は細鏨で小振りな銘となっています。

 

 時代の降った兼吉には、匂い口の締った直ぐ刃の中に一ツ尖り刃を焼いて美

 

濃刀の特色を現らわした刃文があり、本作のように大和然とした作とは異なり

 

ます。

 

  善定兼吉の作には、室町中期頃までに三代位の継承があった

 

ようで中期以降になると兼吉の作刀は減少してしまいます

 

初代の兼吉は大和手掻の系流と言いその作風には大いに大和色が

 

現われて居ります。

 

美濃刀工の繁栄には千手院や志津兼氏にみるごとく大和鍛冶との結び付きが

 

大であったことが考えられます。

 

 そしてこの善定派の鍛冶が後の美濃刀工の主流となって末関諸工のいちだい

 

繁栄に繋がってゆくのです。

 

                            刀剣鑑定「問答100撰」日本春霞刀剣会 参照

 

             日本春霞刀剣会広島県支部