私の誕生日は昭和20年8月15日
広島に原爆が落ちて75年間は
草・木も生えないと言われましたが
その75年も過ぎました
私事ですが、誕生日はと聞かれて
昭和20年8月15日と答えると
エエと言われ、珍しいねと言われたものです
生まれた時刻は母の記録により
8時30分ということですから
私は戦中派となりますかね
というのは、私は戦争体験者なのです
私は母のお腹の中で戦争を体験しているのです
戦争末期、広工廠は連日米軍に猛攻を受けたのです
広海軍工廠への爆撃
私の町、呉市広町は海軍の広工廠があった所
それ故、連日米軍の攻撃を受けて
逃げ回っていたのでしよう
母のお腹の中で余程怖かったのでしようか
幼少の頃、サイレンが鳴ると
真っ青な顔をして走って帰り母に抱きついていたとか
サイレンが鳴るたびに何処にいても飛んで帰っていたと
家の者から聞かされていました
逃げ回る母のお腹の中で空襲の大きな
サイレンの音を聞いていたのですね
お腹のなかで余程怖かったのでしよう
家の前100m位の所に小学校があり
朝と夕方にウ~と1分位大きな音でサイレンが鳴り響くのです
戦争って本当に怖いですね
それと
暗い話ばかりで恐縮です、気晴らしに庭の花をご覧ください
私と14歳違う兄からも色々な話を聞いております
何機ものグラマンが広工廠を攻撃するのに
海側から入り、向かいの山でUターンして
広工廠へ攻撃に行くのです
家の直ぐ上、すれすれの所を通り広工廠に突っ込んで行く
操縦士の顔どころか、中に飾ってある
女性(彼女)の写真が見えるというのです
凄い爆音で家がビリビリと大きく振動したとか・・
本当に怖かったと言っていました
母屋にも戦争の爪痕が沢山残っていました
屋根瓦に機関銃の玉の跡が沢山有り瓦が割れていた
その他にも現在でもその戦争の痕跡が残っています
夏だったのでしよう、障子が開いて2枚重ねてあった
同じ所に機関銃の跡の丸い穴が開いていますし
2階の天井にもやはり機関銃の跡が残っています
戦後75年経って平和な時代になりました
今は、コロナウイルスとの
第三次世界大戦だと感じています
平和を大切にする気持ちを忘れず
不要・不要の外出を控え三密に充分留意して
この危機を乗り切りたいと思います