最後に、他県の試合に出た頃、

全国大会で、何度も、優勝した人が、審判で、私の目の前に 座ってました。

 床に刀を置くと、全国大会で、道場の先輩の技を、見知っているので、

「こんなの掴んでやる !」 と、私の頭の中に声が響きナゾの人

柄当てをすると柄を掴まれたような 重さを感じました

私は、そのまま、それに 対処する技 ( 返し技を すると、審判の K田さんは唖然としてました

 

余程びっくりしたらしく、試合が終わった後、私の師匠のとこに行って、「 何の技か !?  聞いてきたそうです。

「 あぁ、あれか ビックリマーク」、「 あれは、の技 ) だ。」 と、答えたそうです。

試合用の技は、その当時でも、まったく、練習することもなく年に 2、3本

試合の時だけしかやっていませんでした。( 勝つ気もなく。)

K田さんは 「( 古流の技と、残りの技とは) 全然違う。」 と、当然、判定の旗は上がりません。

 

毎日、11時間以上も稽古して全国大会の常連だった 努力の人が

今のままではいけない。」 と、悩んだそうです。

 

 同じ試合の大会で、審判の後ろので、次の審判をやる人が 座ってました。

目線の先に居た人が、後ろを向いてて、私の方へ向き直すタイミングで、抜刀した刀で、首を刎ねましたドクロあせる

( もちろん離れているので 実際には、刀は届きませんが )、的 ( まと ) になって、斬られた人は、嫌ぁーな顔をしてました。が、

周りの審判に、凄い技を使う。と、伝えてました。試合の審判の後ろで 私の採点を してない審判達には 次の技も、大うけでした。

 

試合が終わってから、勝ち残ってないのを 不審に思ったその審判の一人が

私のとこに 「 どこの流派か。」 聞きに来ました。旗の上がらない実力者納得したようで

「 〇×流か ! 」 と、呟きながら 去っていきましたした。

 

 胃液が込み上げてきて体質的に、会わないのでその試合を最後に、表に、出なくなりました。

ダウン 試合用の技は、制定と言って、7本が、10本になって、また、増えてしまいました。・・・ これが嫌いで。ゲロー

 

 昔、師匠が、「 これと、これ、どう違う ?」 と、同じ技を、2回やったことがあります。

私は違いが観えなかったが、もう一度やると、並んでみてた先輩は、違いに気づきました。

悔しいので、それから、見取稽古にも 力を注ぎました

 他の流派の方でも、その時の私が、慢心しかけると、それに対した、技を見せてくれることがあり ( そう 感じたのは、天の啓示か )、

技の本質が見えてくると、うかつに攻められないと思います。

 

 実戦で後れを 取らなければそれでいい

命が掛かった事故や事件に遭遇しても、肩の力が抜け

臍の下の丹田に 紐を括る様な感覚

それを、体験できれば良いと 思ってます

 

考え方は、人それぞれ、我が道を行く。



エンブレム 2001-2
 


平成 B