かなりマニアックだが、大阪の八尾市には木村重成と高松信重の墓がある(-∧-)合掌・・・ 


 

 高松信重は応仁の乱(1467~1477年)の際に細川勝元の東軍に属して、西軍の山名宗全と

戦い亡くなったと伝えられている。『姓氏家系大辞典』によれば河内の高松氏、讃岐高松家

出身の武将ではないかと思われる。讃岐高松氏の室町期の動向はよく分かっていないが、 旧高松城(今の古高松にあった喜岡城)を本拠地にして、讃岐の豪族である細川四天王、  つまり香川景明(元明)・香西元資・奈良元安・安富盛長の4人などと同様に京都の大乱に  出陣していたことが推測できる。なかなか興味深い。

 江戸時代の地誌である『河内名所図会』(1801年)には、「高松塚とよぶ。瘧疾(ぎゃくしつ、 おこり、マラリア)を祈るに、かならず霊験あり。」と紹介されており、熱病に効き目があると信じられていたらしい。八尾の地神になっている。この墓碑は、元々ここより約200m南東、「高松」という地に建てられていたが、昭和45年(1970年)に始まった曙川北地区の区画整理によって当地に移されたとのことだ。現在の八尾グランドホテル辺りだったのだろうか?何の因果か

この室町中期の高松信重の子孫であろう江戸初期の讃岐の武将、高松内匠(久重)は北に

約5キロ程の地にある墓、木村重成の部隊長として大坂の陣に参戦奮戦するという<(_ _)>

 

 遠い遠いご先祖様だろうか・・・。なかなか機会がないけど一度お参りしたいものだ。

 

 

 

『姓氏家系大辞典』の文中「高松重信」は「信重」の誤記だろう。

 

 

サイトタイトル

高松信重墓

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