香川県高松市六条町で高松氏に縁のある神社は鹿島神社(三宮神社)、貢八幡神社、

下田井八幡神社、広庭神社などが挙げられる。

 その中で鹿島神社(三宮神社)の由来は少し変わっている。『林村史』などによれば、林村は

上林村、下林村、六条村の合併村で、上林村には拝師神社、下林村には岩田神社、六条村には鹿島神社をそれぞれ氏神として祭っていた。

 ところが、昭和19年(1944)当村に軍用飛行場が設置されたため、岩田神社と拝師神社は、鹿島神社に合わせ祭られた。その後、昭和23年(1948)に社号を三宮神社と変更、社章は

氏子から募集の上、桜花を鳥居三つで囲った現在のものとなった。

 祭神は、応神天皇、建御雷神、天火明命である。なお、三宮神社には篆刻家として天下に有名な細川林谷の師にあたる阿部良山の額が宝蔵されている。三つの神社が一つになった

神社なので、境内には狛犬や灯籠などが沢山置かれているのである。

 

     

 

 三宮の中で特に高松氏と強い縁があるのが鹿島神社で、その由来は天正8年(1580)に

疫病が流行した時、高松孫右衛門兼盛が祈願して、一村恙(つつが)なきことを得た。そこで

この社を建立した。このことは拝殿の棟札にあり、その棟札は木太通法阿闍梨の書である。のち慶長5年(1600)5月に高松内匠(高松憲重)差配により再建されたが、このことも棟札に

残されている。これが林村にある棟札の最古のものと伝わっている。

 安永年間には宮脇惣次郎光明が修理している。社坊は正見寺といい六条下川西に

あったが後消失して今は地名として残っている。祭神は健御雷之神(たけみかづちのかみ)、

伊弉那美尊(いざなみのみこと)である。

 高松孫右衛門兼盛は名前に兼の字を使うので、由良城主の由良遠江守兼光の出城という六条城(長専寺)と関係あるのではないかと観ている。由良兼光は三谷氏の一族であったが、永正5年(1508)に香西元定が三谷氏を攻めたとき由良山城も攻められ、香西氏と和睦して

いる。屋島、古高松地区の高松城(喜岡城)の高松氏と、六条地区の由良氏や三谷氏は

距離的にも同盟関係、姻戚関係ではなかったかと推測する。 

 『古高松郷土誌』、『林村史』など文献においても高松内匠は高松頼邑(天正13年秀吉の

四国征伐において喜岡城で討ち死にする)の子とされているが、子は憲重(内匠)であり、

孫が久重(内匠)である。 堀智博氏の「大坂落人高松久重の仕官活動とその背景 : 戸村義国との往復書簡を題材として」の論文に詳しい。https://ameblo.jp/katana-bokudo/entry-12344557816.html

 

三宮神社境内。狛犬や灯籠などが沢山置かれている。