香川県の高松市高松町永ノ谷に喜岡城の跡があり、この付近の小地名を喜岡(きおか)

という。この喜岡という地名の起こりについては、貴岡・城岡・木岡と言われていたのが、

いつのころからか喜岡に変ったのではあるまいか――というので、次の三つの説がある。

 

 第一は、この岡に、昔の豪族を葬った古墳があったので、貴い岡、すなわち〝喜岡〟と

呼んでいたのが、喜岡に変ったのであろう――という。

 

 第二は、建武の中興の時、高松(舟木)頼重が讃岐の守護に任じられ、この岡を中心にして高松城を築き、讃岐一国を治めた。それ以来、城のある岡、すなわち〝城岡〟と呼ばれて

いたのが、喜岡に変ったのであろう――という。

 

 第三は、高松は昔、喬松が群生していた所であったため、その名を得たといわれるので、

この岡にも木が生い茂っていたことから、〝木岡〟と呼ばれていたのが喜岡に変わったので

あろう――という。

 

 

 

岡神社(喜岡権現社)は、喜岡城跡(高松城跡)に祀られている神社。
道路側に「史跡高松城跡」という自然石の石碑と案内版があるので、場所はすぐにわかる。
石段を上った奥の方に社殿。その裏手に土地区画整理(昭和48年)の際にこちらへ遷された合祀された塚が二基。円柱の柱が祀られていたが、地神だろうか。
この神社の西側に、喜岡寺があり、ここで討ち死にした将兵の霊を弔っている。