昨日は伊達政宗の愛刀をご紹介したのですが、
その中でも特に変わっている異名、黒ん坊切り景秀(かげひで)
のことを。景秀は鎌倉中期(今から750年位前)の刀工、備前
長船派の祖、光忠(みつただ)の弟と言われます。
この太刀は刃長二尺四寸一分(約73.0㎝)、反り六分(1.8㎝)で
丁子乱れの華麗な出来と言われ重要文化財に指定されています。
この名前の由来は政宗が、秀吉の文禄の役(1593年)で朝鮮に従軍
した際、肌の黒い牛のような大男を切ったから名付けられたという
説と、敵の大将を追いかけて切った際、頭が真っ二つになり、勢い
あまって馬の鞍まで切れたので、鞍切り景秀・・・それがくろんぼ切り
に変化していくという説があります。政宗は数ある指料のうちこれを
もっとも愛用していたそうです。
今では差別的な表現と色々な意味で物議をかもしだしそうな
ネーミングです。歴史とは残酷なものです。
伊達政宗の霊廟、瑞鳳殿(ずいほうでん)には、殉死した家臣15名
および陪臣5名の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が並びます。政宗の
カリスマなのでしょうか驚愕します。