すっかり日記を放置していてすみません。
久々の更新がこんな話題ですみません。

昨年の夏頃から、離婚調停を進めていました。
出奔してからほぼ4年、ようやく昨日離婚調停が終結しました。

もともとは婚姻費用の請求(別居している間、収入の少ないほうが多いほうに対して生活費の請求ができる、ということを知り、その請求をしました)から、当然の流れとして離婚の調停となったわけです。そもそも「婚姻費用」などという言葉さえ知らず、つくづく法律というのは知らないと損することが多いのだなあと思ったりもしますね。いま別居中のあなた、請求したほうがいいですよ!

よくドラマなどで、離婚届に判子押して出しておいてね、というようなかたちで描かれる離婚ですが、現実ははるかに面倒な手続きがたくさんあります。もちろん、そんなふうに簡単に片付く離婚もあるのでしょうが、20年以上もの婚姻生活を経た上では、さまざまに付随する問題があります。子供はすでに成人しているので、親権問題がなかったことは楽でしたが、マンションのローンが残っていたことがわりと面倒な一因でした。それ以外にも、年金問題とか、いちいち調べたり請求したり出向いたりしなくてはならないことがたくさんあって、このわたしでさえ、離婚鬱になりそうでした。

2~3カ月に一回くらい、横浜の家庭裁判所まで行かなくてはならないことも、けっこう苦痛でした。横浜の家庭裁判所は石川町にあります。遠いことももちろんなんですが、駅の、わりと近くでありながら、なんででしょうね、とにかくわかりにくい場所なんです。初回から前回くらいまで、とにかく迷いっぱなし。あそこは何か特別な磁場があって、わたしの(ただでさえ狂いがちな)方向感覚を狂わせる場所であったかと思います。ただ行きたくなかっただけ、かもしれないけれど……。

調停員は、年輩の男女二名です。やけに声のいい男性と、眼鏡の目立つ女性で、二人とも親身に話を聞いてくれ、どちらかといえばわたしに同情的な立場で調停を進めてくれました。半年以上(といっても実際に会って話したのは5回ほどですが)もつきあっていると、不思議と同志のような気分になるのも不思議です。

調停は、わたしと夫と、交互に話を聞いていきます。申立人と相手方は控え室も別々で、顔を合わせることはありません。最後だけ、調停の終結ということで裁判官が立ち会い、二人して並んで(間に弁護士さんがいましたが)判決みたいなものを聞かされました。

控え室で待っている時間は、実に退屈な時間なのですが、たいていの人は弁護士さんと同行しているので、それぞれの事情を相談していたりして、その話を聞くともなしに聞いていたのが実に興味深かったですね。ほとんどがやはり子供の親権問題で争っていて、韓国人の夫が母国に子供を連れて帰りたがっていたり、自分の子供ではないのではないかと疑っている夫がいたり。いくつかの小説が書けるのではないかと思うようなドラマの端っこがいっぱいありましたよ。


わたしは、実父と実母がそれぞれ二回ずつ離婚しているので、ずっと自分は結婚には不向きなんじゃないかと思い続けていて、それでも結婚した以上はなんとか結婚生活を維持していこうと努力したつもりではいました。子供を産むために選んだ結婚ではあったけれど、当時、もう少し自分が大人で、さらに経済力などがあったとしたら、結婚という形式は選ばなくてもよかったのかなあと、今では思ったりもします。結果論なので、たぶん、この夫でなくても、結婚はしていたような気がしますが。

姓は、旧姓に戻さず、田中のままで新たな戸籍をつくる予定です。
何も変わりません。

生活は相変わらず不安要素が多いですが、なんとかひとり生きていかれるよう、がんばるつもりです。思えば出奔以来の4年間、言葉には尽くせないほど多くのひとに助けていただきました。とりあえず、そのひとたちに、離婚の報告とこれまでの感謝の気持ちを伝えたいです。

そして、今後ともよろしくご支援、ご声援、仕事の発注など、いただければ幸いです。