物理的な忙しさだけではないのだけれど、ちょっと余裕のない日々です。

もうだいぶたってしまったけれど、6月6日は明治学院大学の講座のあと、石井辰彦さんの還暦前夜祭をしたのでした。いつも授業のあとに行っている「スカラムッシュ」をこっそり貸切にして、石井さんを好きなひとたちも少しお呼びして、石井さんには内緒にして赤いパンツのプレゼントとかあれこれ企画して、大成功なサプライズ・パーティーになったんだけど、なんだかわたしは後半の記憶がないくらいひとりで酔っ払っていたようです。。。


きょうは「星の会」でした。7名と多めの参加者で、けっこう時間がかかった。なにしろお互いの「未来」の作品のすべてをていねいに読み合うので、それなりに時間がかかるのですね。でも、このていねいさは重要だなあと思う。個人的には、わりと成功していると思っていた作品に対して根本的な批判をいただいたので、だいぶ凹みました。でも、きょう言われたことのたぶん先にあることに関して、今のわたしはあまり積極的になれないんだよなあ。別に短歌がつまらなくなったとか、そういうことではないのだけれど。

『ちはやふる』の新刊をやっと読んだ。2ヶ所くらい、泣いた。
関係ないけど、入院中の千早が短歌の宿題をやっているとこに奏ちゃんが参考書を持ってくるんですが、それの背表紙に『かんたん短歌』とか『てのひら短歌』とかあってひとりで盛り上がりました。千早の短歌も、なかなかいいんです(誰か監修についたのかと思うくらい)。そして奏が語る「『詠む』ために必要なのは実は『読む』こと/私の感覚では素人は口語短歌に含まれる意味のうち理解できているのは50パーセント程度/新仮名の文語短歌なら30パーセント/旧仮名の文語短歌にもなれば10パーセントくらいしか意味が取れていないのです」という台詞にびっくり(ほんとに誰か監修についたのか?)。