母が救急病院に搬送され

「最悪のことも考えておいてください。」と

先生から言われ、1ヶ月経過し、意識を取り戻し

一口、二口食事がやっとできた頃のことです。

 

救急病院なので、

長く入院することはできません。

今まで、主に過ごしていた

デイサービスにも戻れず、

私達夫婦も共働きだったため

看取り可能な老人ホームに入るか、

療養型の病院に行くか迷うことになりました。

 

はじめは、

「もう退院できますからどこか探してください。」

という感じだったので、

家庭的なの雰囲気の老人ホームを

探しましたが、母は口からは

栄養補給できなくなっていることが

あとからわかりました。

 

当初、私は、胃瘻はつくらず、

父が行っていたように鼻腔経管で

老人ホームに入れればと思っていましたが、

ホーム曰く、肺炎をおこしやすいので

胃瘻でないと受け入れられないとのことでした。

確かに、よく父も肺炎をおこしていました。

 

そこで、入院している病院に、

胃瘻の手術の相談をすると

断られてしまいました。

「そんなに無理に延命することは大切ですか?」

とも言われてしまい・・・。

 

というか、はじめから、

この対応がわかっていれば

老人ホームをいくつも探したりしなかったのに。

 

以前、この病院では、

母の心臓の担当の先生がいて

母が認知症でも元気に長生きできるように

私以上にいろいろ考えてくださっていて、

ある日、その先生が別の病院勤務になることが

わかると、母はいつになく強く

「いかないでください。」って言っていたけれど

その先生だったらなんていってくれたかなと

思いました。

 

延命は答えがひとつじゃなくて

よく元気な人たちが、

将来、家族が困らないように、

延命の有無について伝えておいたほうが

いいといいますが、

元気な人間が考えているいざという時は、

実際のいざという時の状況とかけ離れて

いることも少なくないのではと思います。

 

父や母だって普通の人以上に

ドライな考え方をする人だったので

たぶん元気なときは延命なんて

しないでほしいといったと思います。

 

しかし、明日生きているかどうかも

わからないから、父も母も

元気なとき以上に一生懸命

生きようとしていたのが

小さな仕草から感じとれてしまう。

 

母は、病院の紹介で

終末期の方が多くいる病院に

転院しました。

そこで、1ヶ月半程度ですが

リハビリが始まりました。

ずっと寝たきりの点滴での生活で

リハビリなどできるのかと思いましたが

トレーナーさんが車椅子を持ってくると、

進んで乗ろうとしています。

 

声もかすれて、何をいっているか

わかりづらいけれど父の話もしています。

まだ、点滴だけで静かに草木が

枯れていくように命を終えるのを待つのは

切なすぎました。

転院先で、胃瘻の造設の相談をしました。

そして1ヶ月の鼻腔経管での経過観察後、

胃瘻の手術をしました。

手術の日は、とにかく機嫌がよく、

先生にも「ありがとうございます。」

と言ったそうです。

 

それからは、会いにいくと

「また来てね。」と

「どうもありがとう。」

以外はしゃべらなくなり

ほぼ寝ているだけでしたが

ミトンを外して手を握ると、

驚くような握力で手を握り返してきます。

 

私は、父も母も看取ることはできませんでしたが

最期の数ヶ月、病院に行くたび握った母の手の

力強さは命の重みを感じました。

命の重みを考えた瞬間

 

 

 

 

 

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