人の心が癒されるために、一番大事なのは「本物の『場』です」。それをわかりやすくいいますと、地磁気があるレベル以上に高く、マイナスイオン数が多い場所ということになるでしょう。こういう土地をイヤシロチといいます。
 
地球の地磁気の強さは平均が0.459ガウスといわれていますが、いまの日本では0.3ガウスくらいしかありません。東京の都心では0.1〜2ガウスくらいです。0.5ガウス以上ならすばらしい土地ですが、ここカウアイ島では、たいていのところは0.5〜0.7ガウスくらいあります。またマイナスイオンの数も1立方センチメートル当たり千個以上もあるとすばらしい場所ですが、東京都心では平均すると50個あるかなしかです。ここではたいていのところで千個以上あります。
 
 一般に農薬や化学肥料は、地磁気を弱め、マイナスイオンを減らし、プラスイオンを増やすといってよいようです。


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ともかく気分がよくて、そのとき、数時間もここにおりました。(私がイヤシロチやケガレチというコトバを知ったのは、1960年ごろのことです。経営コンサルタントとして、顧問先の土地のイヤシロチ化を試みたのは1973年ごろからですが、イヤシロチ化したところは、お店でもメーカーでもすべて好業績なのです。業績との相関関係がありそうだと気づき、本格的にイヤシロチの研究に取り組んだのは、1985年ごろからです。豪農の館を初訪問したときは、すでに数年以上も深く研究していましたので、体感として、イヤシロチやゲガレチがわかるようになっていました。)
 
その後、阪神大震災がありました。当時、私の母や長男一家、そして娘一家は宝塚に住んでいました。この時、宝塚市内の大半は震度7〜8の大激震にみまわれ、娘が住んでいた家はかなりの被害を受けました。

私も状況前は宝塚に住んでおりましたし、関西は私の出身地なので、多くの知人が被害を受けたのです。そのとき、隣接している家でも一方は無被害なのに、一方は大被害を受けたという現象というか実例をかなり知りました。その結果、断言までできませんが、イヤシロチに建っている家は被害がなかったか少なくなかったようだといやおうなく、気づかされたのです。
 
これで「豪農の館」が、1964年の大地震の際、被害がゼロだった理由は、超イヤシロチだったからではないか・・・という仮説をたてました。
 
その後、「イヤシロチと地震」あるいは「イヤシロチと天災や人災」という観点で多くの現象を見ることにしてきました。
 
いまのところは、まだ断言まではできませんが、「イヤシロチでは天災、人災を問わず災害が起きにくいようだ。一方、ケガレチではおきやすいようだ」と言えそうに感じています。


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1950年 昭和25年頃までの日本の農業は人力中心の重労働によって支えられていました。 少年時の農作業の大変さ,苦しさをよく知っている私は、 除草剤や 農薬、 化学肥料が使用されだした 1950年代、実感として本当に、びっくりしたものです。 その後、耕転機などの農業機械が導入され 日本農業は、農作業 という点では、 本当に楽になりました。
 
 しかし、それとともに農地は急速にケガレチ化しはじめたのですが、 私がこのことに気づいたのは1985年頃です。 このことについては、 いまだに多くの農家や農業関係者は気づいていない状態といえるでしょう。
 
  〜イヤシロチ 万物が蘇生する場所がある 船井幸雄著より引用〜