道楽。
今朝の朝ドラ「あさが来た」は、私にとっては結構こたえました。「道楽」きついですね…ご存知の通り、日本で最初の女子大学をつくるのに物心共に尽力した広岡浅子は、このドラマでは、白岡あさとなってます。このあさが女子の高等教育の必要性に感じ入り、その大学の創立に向けて活動を惜しみなくしたのですが、それが自分が関わっている事業からの収益や或いは本来は事業に咲いて欲しい労力と時間を、慈善事業に無駄に費やしているという噂や非難は辛いものだっただろう。世のため人のためなことは、あまり評価されない。本当に必要なことと思われてないからか、人が無償で尽力する筈がないと思っているからなのか、それはわからないが、あの当時女性は社会の表舞台に立つことは疎まれ、旦那を助け、家を助け、家庭を守り、家事洗濯と子供の教育、家族の身の回りの世話、文句も言わず、学も要らず、ただ身を粉にして奉仕する女性の時代にとって、あさの女性の自立や女性の機会の均等などの理想やその為の行動は世間では到底理解できなかっただろう。「道楽」にしか映らなかっただろうな。広岡浅子氏には到底及ぶものではないが、私も似たような感じである。私が一社)中小企業事業推進機構の元になる事業推進クラブをつくり運営した頃、当時の株主から、今回のドラマのようなことを何度も何度も言われた。自分ではオフの時間を、ポケットマネーでやっているから迷惑をかけてないといくら思っていても、利害関係者は、その時間を社業に、そのお金を利益のためにと考えるのは当たり前のことである。それがこの世の中のためになる、それが回り回って皆様のためになる、お客様のためになるといくら言っても、夢物語、詭弁にしか捉えられないだろう。日本に限らず、どこにおいても時代は流れ、世の中は変わっていく。その変化に対応し、環境に適合したものだけが生き残っていることは、太古の時代から変わらない。その変化を読み、適応していくために何が必要か。身を守る盾も矛もなく、それを身につける機会も買う財力もない人間は、知恵を出すしかない。多くを学び、考えることが必要だ。教育はそういうところを担っているばかりではなく、矛も盾も要らない社会を理想として知恵を出すことも可能だ。話は横道に逸れてしまったが、あの時代、理想を求めるのは至難の技だっただろう。私のやっていることは小さいが同じ気持ちである。これがこの世の中に必要だと思ってやってみても、目に見えて利益を生み出さないものは、理解されない。また理解は示してもそこに投資をしてくれるような酔狂な人はなかなかいない。世の中には、どんなに善い人も、どんなに悪い人も、社会を切り開き今より少しでも良き社会をと願い動く人と出来たものを享受する人の二通りしか、どうやらいないようだ。そして一人で頑張るしかないようだ。