ultramanさんが綴っていました ので、関心がありましたが、私も私なりに私見をと思いました。

ワークシェアリングというのは、いろいろ調べてみると、簡単に言えば労働時間を減らして賃金も減らすという手法みたいでして、つまり、ultramanさんの仰ったとおり、例えば一人で出来る仕事を2人でやって、その代わり賃金も半分よ~みたいなものですね。

このワークシェアリングによって、雇用の維持が出来たり、或いは、雇用が創造できたりするってのがミソらしい。
特に日本のはそれらしい。

wikipediaによれば、

  1. 週当たり労働時間の短縮による雇用創出
  2. ジョブシェアリング
  3. 早期退職措置としてのパートタイム化
  4. 自発的パートタイム化
  5. 連続有給休暇時の代替要員
  6. キャリア・ブレーク時の代替要員
の6タイプがあるらしいのですが、さてさて、この不景気化の中のワークシェアリングという手法はどうなんでしょうか?

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私が感じるのは、このワークシェアリングというもの自体が、そもそも良い発想なんでしょうが、議論されるタイミングが極めてマイナスな時期にあり、残念というか何というか…

一人で出来る仕事を二人でして賃金が半分になって、そもそも今の生活レベルが維持できるのかという根本的な問題にも疑問がある。今の生活レベルを下げても世の中の為にはそれは甘んじるという方々がいらっしゃるのかどうかという事も。
また、違う視点ででは、一人でできる仕事を複数人で分け合って、せっかくの労働生産性や技術習得レベルや範囲、知的労働の集約等々をわざわざ複数人で分け合って、分散し、それで、価値が相当に高まるのかとも思う。
そもそも一人でできる作業なり業務を更にプロセスを細分化したり、作業量を分け合って、それで、労働効率が上がるのかどうかということも。

一人でできる仕事を分け合い雇用を維持していくというのは時代の要請なのかも知れませんが、なんかネガティブな発想で、そこから一体将来的に何が産まれるのか…そういう思いがあります。

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労働時間が半減し、賃金も半減したとした時に、余った半分の労働時間を活かして、別の仕事ができて、その分の賃金は非課税にするとかと言った方法もありかと思う。ただ、余った労働時間を活かす別の雇用があるという前提をクリアにできないといけない。

或いは、賃金が半減しても生活できる社会的な基盤があれば、その分、例えば、地域貢献活動や社会貢献活動ができ、それはそれで価値があり、直接賃金に跳ね返ってはこないけれど、それはきっと別の価値として享受できる可能性はある。が、これも、賃金が半減しても生活できることが前提である。

今議論されている或いはその昔議論されているワークシェアリングというものは、当座をしのぐことが前提になっているように思えてならない。
例えばですが、今後もこういうみぞゆうな未曾有な不景気にも負けない社会基盤を創ろうとしての議論であれば、先に朱書きにして例を挙げた二つの方法などを真剣に日頃から考えていかないといけないであろうとそう思う。

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仕事や事業のプロセスを見なおしていく業務(BPR)を行っていく上で、会社の経営資源をコアな業務に集中させて、それ以外を外部に委託すると言った発想はあります。
そして、それぞれがどこにも負けない専門性やノウハウを身につけ或いは更に磨きをかけて…ということはあるでしょう。
ですが、この発想を現在の日本における高度に発展した労働技術というか労働工程に当てはめて考えて、ワークシェアを考えると、極めて難しいと思う。
それにワークシェアを突き詰めて考えていくと、このワークシェアというものも、それこそ資本主義経済の中においては、恐らくそれを利用してグローバルに展開されていくようにも思え、そうなると、なんら救済にもならない気もするし、そういった中において日本という一つの経済圏の中で、どこまで浸透するのか…とも思う。

私はですね、ワークシェアという発想は、社会基盤や生き方の変革というか発想の転換もあわせて行っていかないといけない気がします。
このためには政治の力がとても重要になると思っています。

私が朱書きにした部分が私の乏しい知恵の精一杯ですね。