九州のいっかいの零細企業の経営者ふぜいが、恐れおおくも天下国家を語りまた日本を語り、生意気にも世間にもの申す、そのわけは、弱者から、また違った視点で日本を語り、この日本を少しでも良くしようと思っているからだ!!と言いたいところだが、そこまで立派でもなく、単純におかしいと思うに他ならない。
こんな、能書きめいたことを、ブログで語ったとして、この日本が変わるなど思ってはいない。
けれど、何も言わずにいられるか…と言う思いもある。
前向きにいきたいし、生きていると思うが、何かしら自分を何処か犠牲にして、前向きな善人の礎に甘えて生きていくのが、果たして本当に良いのかとか…
我の周りをよしとして、周りが世間や世論として、それをよしとして良いのかとか…と、私はすぐ思ってしまう。
ならば謂う。
善人の献身と善人の寛容さに甘えて私は良いものかと。
愛は、入りと出が等しいことが、これ、是かと。
慈愛はそうかと。
人は人と交わることでのみ、人として生きられるならば、これ、すなわち、人を敬い、人を愛すること、それが人としての、人としての礎たらんや。
こんな、能書きめいたことを、ブログで語ったとして、この日本が変わるなど思ってはいない。
けれど、何も言わずにいられるか…と言う思いもある。
前向きにいきたいし、生きていると思うが、何かしら自分を何処か犠牲にして、前向きな善人の礎に甘えて生きていくのが、果たして本当に良いのかとか…
我の周りをよしとして、周りが世間や世論として、それをよしとして良いのかとか…と、私はすぐ思ってしまう。
ならば謂う。
善人の献身と善人の寛容さに甘えて私は良いものかと。
愛は、入りと出が等しいことが、これ、是かと。
慈愛はそうかと。
人は人と交わることでのみ、人として生きられるならば、これ、すなわち、人を敬い、人を愛すること、それが人としての、人としての礎たらんや。