今日は一日寝ていました。
敬老の日でしたが、もう死んだように寝ていたようで、家族も心配して寝かしてくれていました。
疲れをとることも仕事ととある方のブログを拝見して、そうだなと思い、寝だしたら、もうとまらなくなってしまいました。
で、その寝出す前に、いち市民さんのブログを拝読させて頂いていたら、勝山人は批評家だと…。
読み進むうちに、納得いくところや自分たち(私以外にもいるので)が地元民でありながらもこてんぱんにやられていたことや兄や兄の友人が、友達が、親友が、勝山を変えようといろいろしていたことを思い出し、もちろん私も。。。
それらを思い出してね、でもチャンスがあればとみんな思っている中で、この記事を読んでね、
「あぁ…、やはり市民以外の方もそう思っているんだね…怒ってくれているんだ、ありがたいけど、頑張らないとね…」
などと考えさせられてしまった。
かっちゃま人は「辛気くさい」の一言あれば、会話が成立すると言われるぐらい市民性を表すことばがこの「辛気くさい」です。
かっちゃま弁では「しんきくせぇ~」と言い、通常の辛気くさいとは用法も意味も幅広いです。この用法と幅広い意味合いを使いこなせることがまた勝山人たる証だったりする。
私や私たちは、勝山をよくするためにいろんなことをしてきたつもりである。
確かに指摘のようなところもあるが、勝山人は日本で一番とも思っているところもあるし、決して悪い人ばかりでもやる気のない人ばかりでもない。ただ、ほんと難しい人も多いしね。
私の友人や親友は勝山に住んでいる。彼たちも頑張っている。
私の兄も兄の友達もみんな頑張っている。勝山人以外の方も頑張っている。
ただ、私たちの場合は、バラバラだったんだよね。
張り合う事はあっても、手を取り合う事を、真の意味でね、それがなかったように思える。
それが、東京勝高会に行った時に、彼たちのまとまり具合に感動しつつも「あれ?!」とも思った記憶がある。
「なんだ、できるじゃん!!まとまるじゃん!!」
ってね。
それをイメージしてね、大勝高同窓会というのが実家で毎年お盆の時期にあるのですが、まったく違っていて驚いたことがあって、どうなんだと思った。
今年は出られなかったけど、一昨年出たときは、「すんでいないとね」的で軽くかわされたり、「そうやっていつも思っていてくださいね」的に真剣に受け止められなかったので、がっかりした事もあった。
批評家である勝山人は、それはそれで仕方ない。
そう思われているんだし、そういうこと否定も出来ない部分もある。
ただ、うちの家内を観ていると、勝山人が思っているほど、勝山は悪くないみたい。
家内や娘は毎年帰るのを楽しみにしているし、楽しんでいる。
何もない場所なのに、スキーも出来ない時期に帰ってきているのに、このどこがいいのかい?!と思う私よりも、確実に良いところを感じて楽しんでいる。
彼女たちは、勝山人を私で体験しているから、人がどうのというのもまったく感じないらしいし。
勝山人が勝山を見つめ直して、まとまることかも知れません。
そして、前向きに、根気強く、励まし合って行く事で良くなるんだとも感じています。
私の実家の村祭りがそろそろ始まっている時期です。
9月一杯は、どこかで村祭りが行われているはずである。
私は、未だにその祭りの日程と集落が合致する。こういう祭り自体、実は減ってきているのかも知れないけれど、まだ残っているもんね~、かっちゃまはね!
いいところだよ!
俺も頑張って何かをしようと思う。ねばり強くね!
敬老の日でしたが、もう死んだように寝ていたようで、家族も心配して寝かしてくれていました。
疲れをとることも仕事ととある方のブログを拝見して、そうだなと思い、寝だしたら、もうとまらなくなってしまいました。
で、その寝出す前に、いち市民さんのブログを拝読させて頂いていたら、勝山人は批評家だと…。
読み進むうちに、納得いくところや自分たち(私以外にもいるので)が地元民でありながらもこてんぱんにやられていたことや兄や兄の友人が、友達が、親友が、勝山を変えようといろいろしていたことを思い出し、もちろん私も。。。
それらを思い出してね、でもチャンスがあればとみんな思っている中で、この記事を読んでね、
「あぁ…、やはり市民以外の方もそう思っているんだね…怒ってくれているんだ、ありがたいけど、頑張らないとね…」
などと考えさせられてしまった。
かっちゃま人は「辛気くさい」の一言あれば、会話が成立すると言われるぐらい市民性を表すことばがこの「辛気くさい」です。
かっちゃま弁では「しんきくせぇ~」と言い、通常の辛気くさいとは用法も意味も幅広いです。この用法と幅広い意味合いを使いこなせることがまた勝山人たる証だったりする。
私や私たちは、勝山をよくするためにいろんなことをしてきたつもりである。
確かに指摘のようなところもあるが、勝山人は日本で一番とも思っているところもあるし、決して悪い人ばかりでもやる気のない人ばかりでもない。ただ、ほんと難しい人も多いしね。
私の友人や親友は勝山に住んでいる。彼たちも頑張っている。
私の兄も兄の友達もみんな頑張っている。勝山人以外の方も頑張っている。
ただ、私たちの場合は、バラバラだったんだよね。
張り合う事はあっても、手を取り合う事を、真の意味でね、それがなかったように思える。
それが、東京勝高会に行った時に、彼たちのまとまり具合に感動しつつも「あれ?!」とも思った記憶がある。
「なんだ、できるじゃん!!まとまるじゃん!!」
ってね。
それをイメージしてね、大勝高同窓会というのが実家で毎年お盆の時期にあるのですが、まったく違っていて驚いたことがあって、どうなんだと思った。
今年は出られなかったけど、一昨年出たときは、「すんでいないとね」的で軽くかわされたり、「そうやっていつも思っていてくださいね」的に真剣に受け止められなかったので、がっかりした事もあった。
批評家である勝山人は、それはそれで仕方ない。
そう思われているんだし、そういうこと否定も出来ない部分もある。
ただ、うちの家内を観ていると、勝山人が思っているほど、勝山は悪くないみたい。
家内や娘は毎年帰るのを楽しみにしているし、楽しんでいる。
何もない場所なのに、スキーも出来ない時期に帰ってきているのに、このどこがいいのかい?!と思う私よりも、確実に良いところを感じて楽しんでいる。
彼女たちは、勝山人を私で体験しているから、人がどうのというのもまったく感じないらしいし。
勝山人が勝山を見つめ直して、まとまることかも知れません。
そして、前向きに、根気強く、励まし合って行く事で良くなるんだとも感じています。
私の実家の村祭りがそろそろ始まっている時期です。
9月一杯は、どこかで村祭りが行われているはずである。
私は、未だにその祭りの日程と集落が合致する。こういう祭り自体、実は減ってきているのかも知れないけれど、まだ残っているもんね~、かっちゃまはね!
いいところだよ!
俺も頑張って何かをしようと思う。ねばり強くね!